2026年08月13日

台風15号 2

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迷走台風15号の影響をかすかに受けた貝塚市馬場の空
連続三日間の午前7時前後の様子。
上から、前日、当日、翌日。何となく納得いけるかな・・・。
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余談ながら菩提寺の和尚さん、雨の中きのう午後2時頃来られた。
いつの間にか13日の先祖様お迎えが一日早くなってしまった。
昔は8月13日だったのに・・・。まぁ御先祖様には、ゆっくりと過ごしてもらいましょう。

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2026年08月12日

台風15号

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「立秋を過ぎても暑いなぁ!」
と愚痴っていたら、昨日あたりから急に、吹いてくる風が心なしか心地よく感じられるようになった。
ご近所のご婦人も、
「今日は体感温度が昨日とは違いますねぇ。」
とおっしゃるし、友人のゲーヤンも異口同音、同じような印象を言ってよこした。
こうなると世の中の心配性ならぬ楽観的な方々は、
「なんや、地球温暖化なんぞ取り越し苦労やったんと違うか?」
なんぞと、能天気な思いに至るかもしれない。
ただ今回の珍事、天邪鬼爺の理解では、迷走といってもよい台風15号がもたらした、猛暑・酷暑の「一時休暇」に過ぎないのだろう。
早い話がこの台風15号、あろうことか当初は東から西へ進み、東北地方を直撃しようかという珍しい進路をとっていた。
当初の予報では福島あたりへの上陸も予想されており、そうなれば観測史上でも極めて珍しい進路となるところであった。
ところが現在では進行方向を南西へ変え、このまま進めば茨城県南部あたりに上陸、その後も本州を西へ進みそうな気配である。
いやはや、なんとも落ち着きのない台風である。
ただ天邪鬼爺として気になるのは、この「迷走」である。
台風一個の珍しい進路を見て、
「ほら見たことか、地球温暖化のせいや!」
などと言い切るほど、気象というものは単純ではない。
けれども、これまでとは違う海水温、違う気圧配置、そして違う大気の流れの中で台風が動いていることも、また確かであろう。
ならば今回のこの迷走ぶりも、温暖化した地球の大気循環と、まったく無縁と言い切れるのだろうか。
猛暑が一休みしたからといって、
「地球温暖化は取り越し苦労やった。」
と安心するのは、どうやら少々早すぎるようである。
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2026年08月11日

お役人様となる

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昨日の朝日新聞「天声人語」氏。
日本語の難しさというか、複雑さというか、はたまた豊かさというか。
「親になることは出来ても、親となることが出来るとは限らない。」
そんな書き出しであった。
「になる」と「となる」
たった一文字「に」、「と」がかわるだけで、意味合いが随分と違ってくる。
そして天声人語氏が言いたかったのは、
「首相になることは出来ても、首相となることが出来るとは限らない。」
ということらしい。
まぁ、どなたのことを言いたいのかはさておき、この天邪鬼爺もほぼ同感であるが・・・。
そこで爺から、もう一言付け加えたい。
「財務省のお役人様になることは出来ても、お役人様となることが出来るとは限らない。」
どうやら今では、首相による消費税減税のゴリ押しを諫めることのできる「お役人様」は、いなくなってしまったように見える。
そもそも論ながら、この爺が敬意半分、皮肉半分で「お役人様」と呼ばせて頂いている上級国家公務員とは、
「政治家センセイを、ある意味教育しながら、日本という国の将来を設計する。」
そんな役割を担っていたのではなかったか。
好き嫌いはともかくとして、かつてのお役人様達が随分と優秀であったことは、紛れもない事実だろう。
明治以来、東京帝国大学をはじめとする高等教育機関から、多くの優秀な人材が官界へ進んだ。彼らが官僚として近代国家の制度を設計し、明治維新から半世紀ほどの間に、日本をいわゆる「一等国」へ押し上げる一翼を担ったことは間違いない。
もちろん、一般大衆が勤勉に働いたことも忘れてはならない。
けれど、それだけで近代国家が出来上がるわけではない。
国の将来を見通すお役人様達の慧眼と知恵、それなくして今日の日本はなかっただろうと、この爺は思う。
ところが近年、どうも様子が違ってきた。
かつてなら「お役人様」を目指したであろう逸材、秀才達が、人生を謳歌することを良しとして、官界ではなく民間へ向かう。ベンチャー企業を興し、若くして財を成す。もちろん、それ自体は悪いことでも何でもない。
ただ、その結果として、
「日本という国をどうするのか。」
その設計図を描き、ときには政治家センセイを諫め、ときには政治家センセイを教育するほどの気概を持った「お役人様」が、少なくなってはいないだろうか。
その一方で、政治家センセイの意向を忖度し、そのお先棒を担ぐ「お役人様」が増えているように見えてならない。
「お役人様になる」人は、今も大勢いる。
けれど――
「お役人様となる」人は、少なくなってしまった。
そんな気がするのは、この天邪鬼爺だけだろうか?

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2026年08月10日

熊本地震

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昨日は、シンガポールのナショナルデー。早い話建国記念日である。
建国は1965年だから、今年で61年という若い国でもある。
そして今日は我が家のプードル・シロちゃんの誕生日。

熊本の大地震発生後、昨日は二度目の週末。
災害ボランティアの活動が始まるというが、復興の目途は未だ未だたってはいまい。
何せ猛暑の夏で、避難所での共同生活も大変だろうし、支援物資もラストワンマイルがなかなか繋がらないときては、止むを得ないところ。ただこんな風にのんきに言えるのも他人事だからと叱られそうながら、私は決して他人事なんぞと思っているわけではない。地震列島の日本に住んでいる以上、いずれ「東南海大地震」も発生するだろうから、大阪府住民の我々も、被災者になるのだから・・・。
今日の地震関連のニュースで、10年前の熊本地震の際の「ずれ残り」であることが確認できたとの報もあった。そして「現代の科学では、いつその『ずれ残りが動くか?』の予測は不可能です。」とも説明していた。ただ「地震電磁気」という新しい研究分野が、阪神淡路大震災以後活発な活動をしており、天邪鬼爺の私としては、今回の「ずれ残り地震」、何か予兆があったのかと確かめたいところである。はてさて・・・。
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2026年08月09日

非核三原則 2

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昨日はすっかり間違えてしまった。今日が本当の「長崎原爆忌」。
さて我が国総理、今日は原爆式典でどんなあいさつをされるのだろう。「非核三原則堅持」は、重ねて言及されるのだろうか。天邪鬼爺の私が、「首相の二枚舌」を疑って書いたのが、広島原爆忌での首相のメッセージ。岩盤右翼に秋波を送りながらの、「非核三原則堅持」はいやはや絵空事にしか思えないなぁ。
さてこの時期目頭の潤む記事が多くなる。
1985年8月12日の、日航機123便の御巣鷹山墜落に纏わる記事も、多分その一つであろう。ただ今日は、御巣鷹山がらみでも、少しだけホッとする話題である。
あの年、私は一年間スウェーデン・ウプサラに出張した。今でいうポスドクである。
同じ年親友のユーサンが、大阪らか東京への転勤となった。
移動の時期が偶然にも重なった形で、まぁこれも巡り合わせというものだろう。
私達二人は移動前に出会って、お互いの健闘を誓い合った。
その時ユーサンは、東京への転勤は単身赴任で、毎週末には大阪に戻るつもりだと教えてくれた。ユーサンのその頃の移動は、航空機利用でJAL123便を利用しているとも言っていた。
そして4 か月。
私はウプサラで、日航機墜落のニュースを知った。
事故機はJAL123便、驚愕の極みであった
当時まだインターネットが普及する随分と以前の事で、事故発生から数日は経っていたろうか。
事故のあったのは8月12日は月曜日だったけれど、お盆の帰省ならその日に違いないと推測し、あわててユーサンの会社に国際電話した。電話口でユーサンは
「いつもなら乗ってる便やけど、あの日はたまたま乗らんかった。運がよかったで!」
と、あっけらかんと返してきた。
ともかく私は一安堵、ちょっとした運命のいたずら、ユーサンの場合は良い方へのいたずらだったという事になる。
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2026年08月08日

長崎原爆忌

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長崎原爆忌 昨日は立秋、暦の上では秋やで
この時期新聞には、眼がしらがウルウルとなる記事が多い。
一昨日のミカンの缶詰の話もその一つ。
そして昨日の朝刊には、頭痛を訴える息子を学校に送り出した父親の記事があった。
81年前の事で、今日なら、
「それなら学校を休みなさい。」
となるのであろうが、軍国主義の闊歩していたあの頃、
「学校に行けば自然と治る!」
といった調子で送り出し、登校させたのだろう。
果たしてその息子さんが、原爆の被害者になった。
爆心地から約800メートルの中学校では、427名の学生、教員が犠牲になったそうで、そのうちの一人となった。
父親にしてみれば、
「休ませておけば、被爆しなかったろうに・・・。」
の後悔が、終生ついて回ったろうことは想像に難くない。
これまた眼がしら潤む、話である。
戦争はともかく、悲劇しか生み出さない。
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2026年08月07日

非核三原則堅持

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昨日の広島平和記念式典ことや、首相ははっきりと
「非核三原則を堅持する」
といいやった。
唯一の被爆国・日本の国民やから、この言葉そのもの、わて天邪鬼爺も大いに歓迎した。
せやったら、国連での核兵器廃絶やNPT(核兵器不拡散条約)に関する決議に対して、日本はなんで積極的な姿勢を示さんのやろかと、わては訝しく思う。本気で非核三原則を堅持する気ぃがあるんやったら、首相自ら閣議をまとめて、核軍縮を一歩でも前へ進める努力をするんが筋と違うやろか。
もっとも、わての穿った見方かもしれへんけどな、昨日の広島での発言も、例によって人気取りのための言葉やったんと違うか、と勘繰りたくなるんや。
一般国民には耳障りのええ「非核三原則」を掲げといて、一方では岩盤保守層には「戦争のできる国」を目指す姿勢を見せる。その両方にええ顔をしているように映るんや。
「二枚舌」と言うたら、さすがに言い過ぎやろか。
いやわては二枚舌の政治家センセイ、ほんまに応援しとうないなぁ。
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2026年08月06日

広島原爆忌

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広島原爆忌
昨日の朝刊で、悲しい記事に出会った。
それは広島に原爆が投下された81年前の事である。
12歳の少女が原爆が投下された日の前夜、ミカンの缶詰を見つけて食べたいといったというのだ。しかしその母は、少女に
「食べるものが無く困った時の非常用にとってある。」
と教えて納得させ、翌朝(8月6日運命の朝)普段通りに登校させたという。
そしてほどなく午前8時15分、人類史上初の原子爆弾が投下され、広島の街がほとんど廃墟となってしまった。少女の家族父母姉は難を免れたそうだが、不幸なことに12歳の少女は原爆の犠牲となったという。少女は登校してすぐに作業着に着替えたのだろう、通学服は廃墟となった校舎の一隅で見つかり、家族はその少女の亡くなった事実を受け入れ、少女の死を受け入れたという。ちなみにその年の暮れまでに、38000人の子供達が原爆症で命を落としている。
このような悲しい話はともかく、その少女の母親は、90歳過ぎに亡くなるまで、終生ミカンの缶詰を食べようとしなかったという。
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2026年08月05日

酷暑日・熊本

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熊本大地震、発生から一週間で520回もの地震を記録したという。
真夏のこの時期、避難所での生活はさぞ大変だろう。なにせ断水はいまだ4万世帯を超え、復旧の目途も立っていないという。
10年前の熊本地震は4月、2年前の能登半島地震は1月の発生だった。それらと比べても、酷暑日が続く今回の被災生活は、その過酷さが際立っているように思える。
最近は「災害関連死」という言葉を耳にする機会が増えた。テレビでも、
「今回の地震では、この暑さのために『災害関連死』が、過去二つの大地震より増えるのではないか」
との懸念が伝えられていた。
暑さのうえに、水も十分に使えない。被災された方々にとっては、まさに生き地獄のような日々ではないだろうか。
もう一つ、胸の痛む報道があった。
地震発生直後、倒壊した家屋に閉じ込められた一人の女性。最初は助けを求める声が聞こえていたという。しかし救助されたのは翌日、その時にはすでに帰らぬ人となっておられた。
合掌

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2026年08月04日

被爆したマレーシア人

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あと二日もすれば広島原爆忌である。
そして昨日、広島で被爆したマレーシア人留学生の記事を読んだ。
現在の広島大学の前身にあたる広島文理大学には、当時日本軍が統治していた英領マラヤから、将来の指導者を育成する目的で九名の国費留学生が学んでいたそうだ。
彼らにとって最大の不幸は、よりにもよって広島に留学していたことであろう。もし広島で学んでいなければ、原爆に遭うこともなかったはずである。実際、九名のうち二名は原爆で即死し、さらに数日後には、おそらく原爆症によるものと思われる症状で二名が命を落としたという。
結局、生き残った五名は日本の敗戦後にマラヤへ帰国した。そして、その多くは大日本帝国が当初期待していた通り、後にマラヤ、さらにはマレーシアの発展を担う人材として活躍したのであろう。しかし、その頃には肝心の大日本帝国そのものが連合国に無条件降伏し、歴史は大きく転換していた。
歴史の皮肉とは、まさにこういうことを言うのかもしれない。
ところで、この五名の被爆者は、その後、日本国内の被爆者が受けてきたような戦後補償や援護の恩恵を十分に受けることができたのだろうか。少なくとも私の知る限り、そのような話は耳にしたことがない。国境を越えて被爆した人々にも、それぞれの人生があり、忘れ去られてはならない歴史があったのだと、改めて考えさせられた。
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