⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!昨日の朝日新聞「天声人語」氏。
日本語の難しさというか、複雑さというか、はたまた豊かさというか。
「親になることは出来ても、親となることが出来るとは限らない。」そんな書き出しであった。
「になる」と「となる」。
たった一文字「に」、「と」がかわるだけで、意味合いが随分と違ってくる。
そして天声人語氏が言いたかったのは、
「首相になることは出来ても、首相となることが出来るとは限らない。」ということらしい。
まぁ、どなたのことを言いたいのかはさておき、この天邪鬼爺もほぼ同感であるが・・・。
そこで爺から、もう一言付け加えたい。
「財務省のお役人様になることは出来ても、お役人様となることが出来るとは限らない。」
どうやら今では、首相による消費税減税のゴリ押しを諫めることのできる「お役人様」は、いなくなってしまったように見える。
そもそも論ながら、この爺が敬意半分、皮肉半分で「お役人様」と呼ばせて頂いている上級国家公務員とは、
「政治家センセイを、ある意味教育しながら、日本という国の将来を設計する。」そんな役割を担っていたのではなかったか。
好き嫌いはともかくとして、かつてのお役人様達が随分と優秀であったことは、紛れもない事実だろう。
明治以来、東京帝国大学をはじめとする高等教育機関から、多くの優秀な人材が官界へ進んだ。彼らが官僚として近代国家の制度を設計し、明治維新から半世紀ほどの間に、日本をいわゆる「一等国」へ押し上げる一翼を担ったことは間違いない。
もちろん、一般大衆が勤勉に働いたことも忘れてはならない。
けれど、それだけで近代国家が出来上がるわけではない。
国の将来を見通すお役人様達の慧眼と知恵、それなくして今日の日本はなかっただろうと、この爺は思う。
ところが近年、どうも様子が違ってきた。
かつてなら
「お役人様」を目指したであろう逸材、秀才達が、人生を謳歌することを良しとして、官界ではなく民間へ向かう。ベンチャー企業を興し、若くして財を成す。もちろん、それ自体は悪いことでも何でもない。
ただ、その結果として、
「日本という国をどうするのか。」その設計図を描き、ときには政治家センセイを諫め、ときには政治家センセイを教育するほどの気概を持った
「お役人様」が、少なくなってはいないだろうか。
その一方で、政治家センセイの意向を忖度し、そのお先棒を担ぐ「お役人様」が増えているように見えてならない。
「お役人様になる」人は、今も大勢いる。
けれど――
「お役人様となる」人は、少なくなってしまった。
そんな気がするのは、この天邪鬼爺だけだろうか?

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