2012年01月29日

日本版双子の赤字

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
久し振りに朝日新聞天声人語氏から。
昨年の我が国の貿易収支,31年ぶりに赤字だという。前回の赤字はオイルショックの年だとのことだから,10年一昔のいい方からすれば,三昔も昔という事になる。
私が小学生から中学生であった頃1950年代後半から1960年代前半にかけては,戦後復興がほぼなっていたとはいえ貿易収支は赤字で,社会の授業でその事を教わり,それが何年か続いていた筈で,
「日本はどんどん貧乏になるのか?」
と,恥ずかしく思ったものである。そして子供心に,
「なんとしても黒字になって欲しい!」
と願った事を懐かしく思う。最近の小中学生は,昨年の貿易収支赤字を聞いてどう考えるのか,ちょっと気になるところである。豊かさが当たり前であった時代が続き,マスコミや世間が失われた10年とか不景気と深刻ぶっても,現実感に乏しいというのが実情。東日本大震災が一番の要因であろうが,エネルギー危機や諸外国の自然災害まで追い討ちをかけたに違いない,31年ぶりの貿易収支赤字。それにしても30年間黒字続きであったとは,電子立国日本と奉られた頃は当然ながら,バブル崩壊以後の失われた10年20年にも屈することなく,黒字を続けたことは驚嘆に値するとも思えるが・・。
子供達がどう考えるかはさておき,産業界,行政に関わる大人達はどう考えるのだろう。1980年代の米国双子の赤字が,いよいよ我が国にもというのが私の実感。人件費が安いからと,海外に生産拠点を設け,挙句の果ての産業空洞化,まさしくアメリカ合衆国の後を追いかける様に進んでいる気がしてならない。挙句の果てに,教育の有り方が悪いと大学がスケープゴートにされていたのでは,いい面の皮である。
それにしても,電子立国日本は,もはや面影もなく米国で開催されていた家電製品の見本市でも,韓国サムスン製が抜きんでていたそうで,サムスン製即ちステータスシンボルといった具合だそうである。
清朝末期の如き我が国日本,ハテサテどう立て直す?
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 03:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張

2012年01月28日

E-JUST一期生

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
E-JUSTから初めての卒業生を出す。卒業式は2月14日,卒業するのは電子通信工学専攻から6名の修士,メカトロ工学専攻から5名の修士。いずれにしても第一期の卒業というのは,歴史にも残るので,大学にとっても卒業する彼等にとっても,名誉なことに違いはない。全員博士課程に進学が予定されているけれど,何人かは日本を含め海外に出て行く事になるかも知れず,それが若干残念である。
さてその卒業生たちの修士論文試問が,今週日曜から昨日まで行われた。私が日本で経験してきたよりも,一件毎に割く時間が一時間超と長く,おまけに審査委員が学外からも招かれていて,厳しい様な気がする。発表時間30分,質疑応答が規定では30分だが,大概の場合小一時間に及ぶ。そもそも試問の在り方が,審査する側が4名オフェンスで,主査や副査は同席するが中立的立場,そして修士課程学生一人がディフェンスと,完全に欧米型の審査形態である。日本型大学院教育を目指しているというのに,このあたりが何やら割り切れない気もする。発表が終わると,4名の審査員が一人一人順番に質問して行くのだから,ディフェンスである学生諸君は,当然日本の審査会よりもはるかに大変である。修士課程学生といえども,彼等は概ね30歳過ぎであり,かつ国立大学の研究員であるから,日本人の修士課程学生と比して,受け応えもしっかりしている様な気がする。
さて審査会,一人の発表が終わると,主査や副査と審査員4名を残して他は全員室外に出る。そして直ぐに当該修士論文の可否が,審査員の一人一人に尋ねられ,大概の場合満場一致で合格となる。その間5〜10分,報告書に審査員と主査の合計5名のサインが記されて学生が室内に呼びいれられ,主査が
「審査の結果,修士論文を合格と認める!」
と口頭で告げられ,銘々が祝福の言葉をかけるという,若干芝居じみたやりとりが行われる。まぁ一種の儀式ですなぁ!
この修士の試問で私は,試問とは直接関係のない事柄ながら,またまた思わぬ経験をした。それは昨日の事。一件目が終わったのは,昼の12時半頃。主査は
「残り審査は一件だし,それが終わって昼食としたい。だから5分間だけ小休止する。」
と,審査員に告げた。それをきっかけに,席を立ちあがって伸びをする者,手洗いに行く者,審査の終わったばかりの学生に話しかける者,あっという間に3分,4分と経過した。私は律儀に4分程で着席をして,次の審査の修士論文に目を通し始めたのだけれど,5分すぎ頃から審査員や学生達が隣の部屋に移動し,昼のお祈りを始めるではないか。それこそおいおい!といった感じで,待たされること15分以上はあったろうか。お祈りが終わると全員ぞろぞろと戻って来て,何事もなかった様に次の審査が始まったけれど,お祈りの15分はモスリムの方々にとって,通常の時間の概念には含まれない時間らしいと教えられた気がする。実際審査が終わって,小休止が長かったと主査に不満を言ったところ,
「小休止はきっちり5分であった。」
と,はなからお祈りの時間の事は勘定する気もないらしく,まるで話が通じなかった。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 02:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外出張

2012年01月27日

日本型大学院教育2

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
昨日に引き続き,日本型大学教育を考えている。
くどい様ながら,そして私が実際できているか否かはともかく,私が理想とする大学における研究とは,最終的には普遍的真理に迫る,あるいは近づくべきといったところにある。昔風に言うなら,大学は象牙の塔であるべきだという事になろうか。ただだからと言って,かつて批判された様に,大学は閉鎖的であってはならないことは当然である。閉鎖的で独善的であった大学の有り様の否定が1960年代,そしてバブル崩壊後の失われた10年,20年という不景気は1990年代。これら二度の大きなうねりを経験して,
「大学における研究は,ソリューションを社会に提供すればよろしい。それが社会貢献でもある!」
と,大学のアイデンティティである普遍的真理追究をも,否定する様な風潮を作り上げてしまった,というのが私の印象である。最初のうねりは,大学における封建性を打破するという肯定的な一面があったし,二つ目のうねりは文字通り即貢献できる知見や技術を提供そうという傾向を生みだした。そしてそこまでは良かったけれど,度が過ぎてしまったというのが現実なのではなかろうか。だから今ある日本の大学の姿は,エジプトの友人達が目指す日本型では,決してないであろうと信じたい。昨日も書いた様に,ともかくも電子立国で名を馳せた日本にあこがれ,自動車生産で世界をリードしていた日本に迫りたいというのがエジプトの本音で,その近道は教育それも大学・大学院教育を移植することと考えたに違いない。そしてそのお師匠さんである筈の我が国が,大学の有りようを巡ってこれまた七転八倒状態なのだから,全く持って混沌として来るのである。ただそんな混沌状態の中でも,私はかつての我が国の大学・大学院教育は,全否定されるべきではないと信じているし,悪の権化とされた大学の講座制も,運営方法さえ間違わなければ,まんざら捨てたものではないと自負している。つまり,大学院博士課程ともなれば,指導教員が却って教えられることもある。だから,寝食を共にするがごときの講座制は,共に学び共に教えられるという側面があるともいえる。そしてともすれば座学のみでは偏りがちだった知識を,徒弟制度に近い1対1の研究の場を通じての教育で,幅広い知識と高みから俯瞰できる能力を培う事に貢献と分析出来,それが日本型教育の特色では無いのかと考えるのだが・・・。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張

2012年01月26日

日本型大学院教育1

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
E-JUSTは,日本型の大学,大学院教育を目指している。それを目指して創設されたことは,これまでに何度も述べている。ところで日本型と一口で言うけれど,それなら日本型とは?と改めて問い糾されると,ハテサテと困ってしまう。そんな私が,はるばるエジプト,アレキサンドリアに長期赴任してきているのだから,いい気なものである。冗談はさておき,エジプトの友人達から「日本型の大学,大学院教育」と尊敬される我が国の大学の国内での評価は,バブル崩壊とその後の不景気以後とりわけ悪くなり,監督省庁である文部科学省が率先して,米国型を指向する様になっている。我が国が否定的であるのに,地球の反対側に位置するエジプトが肯定的とは,如何にも皮肉な気がしてならない。エジプトが肯定的なのは,自動車やエレクトロニクスを代表格に「日本製品」の優秀さが後押ししているとしか考えられない。実際この街にあって,私が日本人だと知ると,
「日本製品は優秀だ!」
と必ず褒め言葉を投げかけてくる程であることからも,その事が理解できよう。つまるところ,日本型大学教育が実現できれば,何年か後には日本の様に質の良い工業製品が生産できる工業立国が出来るだろうと,誤解しているのかも知れない。そして誤解による幻想が,幻滅に代わることのない様にと一人気を揉んでいる,私である。
日本型を考える前に,それなら大学,大学院とは?と考えてみたい。E-JUSTの目指しているのは,教育型というより研究型の大学,大学院であるから,大学,大学院における研究とは?を考えるという方が正確かもしれない。それで,私なりの理解は,
「大学,大学院における研究は,色々な課題を解決しながら,運が良ければ普遍的真理に至る事!」
である。この運が良ければが曲者で,能力のある人が至る事が出来ない場合もあれば,その逆もある。ただ少なくとも,主題,方法論等々を含め,至る可能性のある研究でなければと固く思う。ただ課題解決そのものを目的としている研究,今流行りの言葉でいう,ソリュージョン提供型の研究は,殆ど製品開発型の研究と等価で,それでは企業の研究と大差なく,大学のアイデンティティーを失くしてしまう事になり,少なくとも私は否定的である。余談ながら,今日我が国の大学,大学院の在り方を否定して改革を迫った結果,ソリュージョン提供型を良しとする風潮が出来上がり,私は甚だ不満なのである。(この稿続く)
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張

2012年01月25日

砂漠道路

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
私達が今創設に関わっている大学E-JUSTは,アレキサンドリア市の西郊外に位置するボルゲルアラブ市にある。アレキサンドリアは,ナイルデルタの西端にあたるので,ボルゲルアラブ市はサハラ砂漠の東端に位置するとも言えそうである。アレキサンドリアから直線距離で50km程度であろうか,毎日ミニバスに乗り合っての通勤で,往路なら1時間強,復路は1時間半かかる。先日など俗に言うゲリラ豪雨で,道路が至る所で冠水し,片道何と三時間弱もかかった。そんな突発的な場合はともかくとしても,往復二時間半の車通勤には,いささか閉口気味であることは事実である。
そんな車通勤は,片道2車線の道路を3台ないし4台が平行して走るという離れ業を楽しみ(?)ながらの,ハラハラドキドキである。そして一度故障や事故の発生にぶつかると,いやはやなんともといった具合になるのである。ところで通勤にいつも走る道路は,アレキサンドリアからだと概ね二系統ありどちらも最初は市街地,そして湖畔を経由して,最後は砂漠の中を走る道路となる。最後の部分は,砂漠の外れに舗装された道路が延びていると思って頂ければよい。さらにボルゲルアラブ界隈の砂漠は,砂地ではなく岩肌向きだしの砂漠である。だからであろうか,舗装道路があるにもかかわらず,少し離れて砂漠の中を走る道路がところどころに出来ている。道路と言っても後者は本当の道路ではなく,自動車が行き交う事で出来た自然の道路である。
「不思議だなぁ?何故あんな道路(道路と言っていいのかなぁ?)が出来るのだろう?」
と,本音で不思議に思っていた。そして今日その答が漸く分った。珍しく順調に走っていたのに,あと少しで職場という頃になっていきなりのろのろ運転となった。
最初は,はて何だろうと考え,その後もういい加減に走って欲しいと考えて,ぼんやりと外を眺めていた。ふと見ると,砂漠の中の道路をひた走る車列が,見える。舗装道路より,走りは遥かにスムーズである。そして自動車の走る遥か先を見やれば,私達の走る舗装道路に最終的に吸い込まれているではないか?成程こんなトリック,コソ泥の国と言われるだけのことのあると妙な納得をした次第である。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 04:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外出張

2012年01月24日

大相撲

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
大相撲初場所が終わった。
優勝を独占していた横綱白鵬は,今回は12勝3敗で準優勝止まり。
12勝なら優勝でなくてもまずはオンの字といったところだろうが,横綱白鵬の場合は何やら物足りない。まぁあれだけ優勝が続くと,色々と研究される白鵬といえども,おいそれと優勝は出来なくなるのだろう。何せ横綱になってからの勝率は,歴代でも群を抜いていると,どこかの記事で読んだことがある。研究されてなおかつその上を行けるかどうか,ここ数場所が横綱の真価を問われると,野次馬解説者がコメントしておこう。

豪州メルボルンでは,錦織選手が頑張っている。数年前から頭角を現し,一昨年から昨年にかけては故障がちで,気苦労も生半可なものではなかったかもしれない。ただ今朝のニュースで,めでたくベスト8入りというのを聞いて,ここは素直に喜んだ。日本人のメジャー四大会でベスト8入りというのは,1995年全英オープンの松岡選手以来だそうな。全豪オープンとなると80年ぶりというから凄い。ただ80年前にベスト8入りした選手がいたというのももっと凄いかも知れぬ。なにせ80年前というと,昭和7年だから第二次大戦前の事だけに・・・。

スポーツの話題を2件上げたのは,国際化,グローバル化が,スポーツの分野で勢力分布をどんどん変えている事を強調したかったから。御存知のように大相撲における上位力士は,概ね外国人となっている。一方,30年ほど前はサッカーにしてもテニスにしても,我が国は欧米から一歩も二歩も後れをとっていて,とても太刀打ち何ぞ出来なかった。それが昨年のナデシコジャパンの活躍に見る様に,欧米先進国に肩を並べるあるいはそれ以上になって来ている現実と照らし合わせて,何とまぁと感心せずにはいられないのである。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 04:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時の話題

2012年01月23日

エジプトの結婚披露宴3

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
花婿花嫁の登場に合わせて,花道に並んだ男たちが,多分民族音楽だろうを,歌いだした。彼らの歌声は,私の様な年寄りが聞いても,それなりに乗りの良いテンポで,思わずスイングしたくなるような感じであった。私は花道の黒服の男達に近づいて行き,まぁめでたい席だし少々のことは許して貰えるだろうと,一番端っこに立った。ちょうど向かい合わせになる形で友人の弟君が立っていて,うなずいていてわたしの乱入を認めてくれた。宴の後で聞いたところによれば,黒服の男達は独身男性で,披露宴に参加している独身女性に品定めさせる事が狙いとの事であった。
男達の歌声の続く中,今度は白い民族衣装をまとった男達が小太鼓風の楽器を叩きながら集団で登場,黒服の男達は花道の下に降りて入れ替わった。そして私は自分の席に戻った。ちなみに白い民族衣装の男達は,本来のベリーダンスのための楽隊だそうで,チャルメラ風のなりものもあった。太鼓のリズムは,当然これまたのりがよく,そののりに導かれ花婿花嫁は,ゆっくりと下手にあるお立ち台に進んで行く。花婿花嫁の到着に合わせたかのように,頭に燭台を乗っけた女性が数人登場,それが古来のベリーダンスだそうで,肌の露出度は極めて低くなまめかしさというより,まさに伝統芸能を感じさせるものであった。やがてその女性達が退場し歌声も少し抑え気味になった頃,花婿花嫁がお立ち台で向かい合う形になった。気がつくと花婿の父君は私のそばにやって来て,盛んにお立ち台の方に行く様にと奨める。ハテサテ何かと近づいてみれば,花嫁は両手の指を併せてブリッジを作っている。そして花婿は,花嫁の右手薬指の指輪を,指のブリッジに沿って左手の薬指に移動。成程これがエジプト風結婚リングの交換かと感心していたら,果たして花婿も両手で指のブリッジを作って,花嫁が指輪を移動させていた。指輪の交換の後には,演奏が大きくなりお立ち台はまさしくディスコとなる。輪の中では花婿花嫁が踊り続け,若い男女達が参加している。気が付けばその様子が宴会場の両端に設けられた大型スクリーンに写されている。そして若者に交じって,花婿花嫁の母君も踊っていた。そしてふっと画面が変わったと思ったら,全面花婿の父君の大写しで,何と右の目から大粒の涙が頬を伝っているではないか。母君のあっけらかんとした様に比べ,感極まったといった風情で,感動的な光景であった。
その頃,そう12時頃になってようやく食事が運ばれ,私達日本人はその後一時間程して退出した。ただその後宴は,延々と続く様な感じであった
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 05:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外出張

2012年01月22日

エジプトの結婚披露宴2

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
結婚披露宴の第2弾である。
私は友人の助言を考慮して,午後9時頃会場に出向いた。会場の入口には友人が待っていて下さり,花婿の父君だから当然だろうが,即座に弟君に席までの案内を指示して下さった。ただ宴会場に入って直ぐにぎょっとしたのが,会場内の雰囲気はどういえば判って頂けるだろう,日本で言うサパークラブといった感じで,文化の違いもあるのだろう,私達日本人の抱いている結婚披露宴の厳かさとは随分と隔たりを感じた。文化の違いと言えば,招待客の案内は父君が現場で自ら差配するらしい点,ただ当日にならないと出席の実数が判らないという,エジプトのいい加減さもあるのだろう。
席には既に職場の同僚が,一人所在なさげに待っていた。私達の席は定員8名,結果としては全員日本人同朋であったので,友人の配慮を有り難く思った。相前後してその同朋達が到着し席は埋まったものの,所在の無いのは依然として変わらず,
「一体いつになったら,宴が始まるんやろう?」
の,疑問が口々についてであるばかり。九時半も過ぎるころであったろうか,エジプトでの滞在経験が一番長い同僚のO氏が
「一二時間は無理でしょうなぁ。このナッツで二時間の空腹に耐えなくては・・。」
と,小皿に盛られたナッツを指差して諦め顔である。
その間にも招待客が続々と案内されてきて,E-JUSTのエジプト人同僚達も何人か登場,ヤァヤァと表敬の交換がせめてもの時間潰しである。勢いテーブルのナッツに手が出るものの,イスラム国家だけにアルコール類があるわけでなし,空腹感がつのるばかりである。気が付けば席はほぼ満席状態で,招待客はそれぞれの席であれこれ話しあっている。さすがにおしゃべり好きのアラブ人と感心していたら,やがてジュースやコーラが運ばれて来たものの,個人的にはこの種の甘い飲料は口に合わない。そうこうするうちに席に案内してくれた友人の弟君がやって来て
「もうすぐに宴が始まります,今しばらくお待ちください。」
告げて去って行った。そして10時半頃だったろうか,黒の上下を来た若者達が会場を二分する様にしつらわれた花道に登場し,花道両脇にずらりと並ぶ。そして会場上手から花婿花嫁が花婿の父君と共に登場し,待ち続けた結婚披露宴が始まった。会場に流れる音楽は結婚行進曲含め耳をつんざく程の大きさ。それでも会場全体はざわざわしており,失礼ながらエジプト人の行儀悪さを感じてならなかった。(この稿続く)
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外出張

2012年01月21日

エジプトの結婚披露宴

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
エジプトの友人の御子息の結婚披露に出席する。
私にとっては何せ初めての経験で,興味津津といったところ。ただ職場の仲間の経験によれば披露宴は明け方近くまでかかり,食事も日が変わらないと出て来ないので結構退屈だという。退屈はまだしも,腹ペコになるそうだ。いや正確には,披露宴自体定刻に始まることが決して無く,ただただ新郎・新婦の登場を待っているうちに,二時間,三時間と経ち,気が付けば真夜中という頃になって,ようやく主役が現れるというのが本当のところだという。とはいえ敢えて弁護するなら,本来時間を守らないエジプトの方達の属性からそうなるのではなく,伝統的に披露宴とはそんなものらしいのだ。
ただ,そんな披露の宴に出席するというのは,招かれたとはいえかないませんなぁ。でも友人の説明によれば,
「午後8時定刻と設定してあるけれど,前半をシニア,後半を若者の対象としており,9時か9時半頃に来てくれればいい。席も確保してあるので,10時になれば食事はして貰える。一応ビュッフェ形式で,ただ希望するならウエイターの食事を運ばせてくれても良い。新郎新婦は11時過ぎには登場するから,12時を過ぎればシニアは退散だ!」
との事。ちなみに友人は,この国エジプトにあっては,いわゆる上流社会人で,一般庶民とは趣が些か異なる様である。それゆえここは,その友人の言葉を信じ,それでも
「10時過ぎまで食事できないのは辛い!」
と,本音では少し愚痴りながら,異国での結婚披露宴にのぞむ事にしよう。
披露宴の報告は別途させて頂くとして,この国エジプトの方々の生活パターン,私達日本人には受け入れがたいものがある。何せ夜10時頃でも小学生が繁華街に出て,ぶらぶら歩きを楽しんでいる。それゆえ,あれでは翌日学校に行くのに困るだろうと,お節介ながら心配している。ただ親もそれを容認しているのだから,E-JUSTという大学創りに協力するよりは,初等教育の在り方を技術移転する事の方が肝要と,思案を巡らせる今宵である。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外出張

2012年01月20日

国歌2

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
南半球の御常連様から,先日の「国歌」にコメントを頂いた。
http://zenk.sblo.jp/article/53004654.html
予期していたことながら,更新のその日のうちの事である。とはいえそれは,南半球の御常連様からのコメントを予期していたという意味でなく,戦前・戦中派に苦労された方々にとって,「君が代」は禁忌に近い話題に違いないと理解しているからである。若い御常連様方はご存じないだろうが,軍国主義が闊歩していた時代の事で,「天皇のために!」の代名詞が君が代だった。だから君が代アレルギーを持っていらっしゃるお方は少なくなかろうと思う。私のブログでは,個人攻撃は勿論のこと,こういったタブーと考えられる話題は,意図的に避けて来たけれど,今回は敢えて取り組んでみたというのが本当のところ。だから,きっとコメントがあるだろうと,予期していたのである。
一方戦後生まれに関しては,別の意味の君が代アレルギーを持っているお方が少なくない。というのも,大東亜戦争が終わって,戦前・戦中の全否定が初等教育の基本姿勢となってしまった上に,戦後の民主主義はある意味天皇制の否定をよりどころとして始まった。当然,日の丸や君が代が否定対象の最たるものとなり,刷り込まれてしまったという経緯がある。いずれにしても,何の罪もない「君が代」が長い間店晒し状態で,その結果我が国民の多くは,国歌や国旗を愛さないという,訳の判らない集団となってしまったというのが私の「国歌論」,「国旗論」である。
先に述べた様に,そして南半球の御常連様がコメント下さった様に,戦前・戦中の経験からどうしても日の丸や君が代が容認できないと主張される方のいるのは判る。ただその一方,
「世界のどの国の民が,自国の国旗や国歌を否定するだろうか?」
と自問するとき,敢えて禁忌を犯してでも問題提起したかったのである。
ちなみに米国の小学校では始業時に,必ず国旗に忠誠を誓わせるとも聞いている。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 04:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 私の主張