2020年01月22日

思い出話 7

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高校2年生の秋は、私なりに充実していた。
昨日も話した様に、夜は読書三昧の毎日であった。
正確には、早寝早起きしての読書三昧というべきだろうか。
中学に入った頃から朝四時起きの習慣が定着し、私は俗にいう朝方人間であった。ちなみに大学受験に失敗して予備校に一年通ったのだが、この生活パターンが崩れることはなかった。
ところが高校二年生の12月中頃、私の目に異常が起こった。
体育の授業時間中に偶然ぶつけられたバスケットボールの衝撃が、直接の引き鉄だろうというのが眼科医の見立てで、当時としては大病であった網膜剥離をわずらっってしまったのである。1月末には大阪大学医学部の附属病院に入院し、おおよそ3カ月の闘病生活を強いられた。当然高校生の気ままな生活も、終止符を迎えた。三国志を読み始めていたのだが、以来どういうわけか読む機会には恵まれず、吉川栄治とはおさらばしてしまった。
阪大病院での闘病生活は、ただただ退屈でひたすら天井を見ての毎日であった。そもそも本や新聞を読むわけにもいかず、娯楽と言えばラジオを聴くぐらいで、まさに修行僧のようなそれでいて、あおむけで寝ているだけの二か月半であった。
この二か月半の寝たきりで、唯一良かったのは身長が20p近くも伸びたことであったろう。手術後初めて立ち上がることになった3月10日ごろ、看護婦さんの第一声は
「あらこの子、背ぇ伸びたわ!」
だったことからも、理解して頂けるだろうか。
話は変わるが退屈な入院生活の中で、例によって何の前触れもなくR君が見舞いに来てくれたことや、バスケットボールを誤ってとはいえ私の頭部にぶつけた、高校の同級生I君が申し訳なさそうに顔を見せてくれたことが大いに救いとなった。
私の入院した大阪大学医学部の附属病院は、眼科はあの頃石橋キャンパスに在ったので、二人とも大阪府をほとんど縦断してやって来てくれたということになろうか。
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posted by zen at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白