2020年01月24日

思い出話 9

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阪大病院の主治医から、通常の生活に戻って良いという判断を貰ったのは、4月の最後の検診日であった。そして5月からの通院は、二週間に一度でいいだろう、だから高校にも通っていいだろう、まぁ体育は二学期に入るまでは差し控えようか、といった細々とした助言も貰った。当面サングラスを着用のことというのは、高校生には大いにうれしい通学許可の条件であった。だから私の登下校時は、学生服にサングラスといういで立ちとなった。
私は高校二年の学年末試験は受けていなかったが、それでも三年生に進級できていた。
5月の声を聴いて登校してゆくと、担任は
「この時期からなら、出席日数は十分足るから皆と一緒に卒業できるだろう。4カ月以上も勉強していないから、皆に追いつくのは大変だろうが・・。」
と、事務的に話して、教室に私を連れて行った。この担任は新任の若い先生で、やけに身長の高くなった私が、サングラスをかけていたので、病気のことを知っていただろうに、対応に困っていたのかも知れない。ともかくまるで転校生並みの扱いであった。
私達の高校は毎年クラス替えをする制度だったので、級友の半分以上はなじみのない顔だった。それでも入学以来ずっと一緒という級友も何人かいて、大した違和感、疎外感なく三年四組の一員となることができたように記憶している。
その日の帰りには、木下書店で教科書を買い求め、翌日からは普通の高校生に戻った。数学や物理の授業では、学習済みの単元の入試問題の演習が中心で、さすがにわけのわからない内容が多く、本当に退屈した。英語や国語はそれでも何とか対応が可能で、登校後三週間目に始まった一学期の中間試験を受ける羽目になった。ただ驚いたことに、成績は全くの最下位というわけではなかった。それに英語と国語だけは、それなりにいい点をとった記憶がある。
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posted by zen at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白