2020年02月04日

思い出話 15

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貝塚駅での、水間電車から南海電車への乗り換えは、あの頃(昭和42年)は薄暗い地下道であった。地下道は、難波行きの進行方向の先頭側にあり、
「先頭車はすごく混むから、なるべく後ろに車輛に乗るのよ!」
と教えられ、私達はプラットホームの中程まで急いだ。
あの頃の南海電車は、まだ全車輛冷房車というわけではなく
「冷房車だといいけどなぁ・・。」
とつぶやく彼女の期待に反して、入ってきた急行の窓は開いていた。
私達はともかく乗り込み、車輛の中程まで進んんだ。
さすがに貝塚駅では、まだぎゅうぎゅう詰めというほどではなく、二人吊革をもって並ぶことができた。電車が走り出すと、窓から入る梅雨入り前の風は、それなりに心地よかった。
「善一郎君は、河崎先生が6年生の生徒と一緒に、葛城山を登ったの覚えてる。あの時君はまだ幼稚園だったかなぁ。」
と切り出した。
「覚えて無いなぁ。」
と答える私に、
「あの日は朝から曇り空で、途中で雨が降り出して結局途中で戻ったのよねぇ。」
と懐かしそうに続けた。
「善一郎君は、女の子達に可愛がってもらって、上機嫌だったわよ。」
と告げられても、記憶は甚だ頼りなく
「いわれてみれば、大勢と葛城山に行った記憶があるような、無いような。ただ母は、自分の生徒をよく家に連れて来たのを覚えています。」
と答えた。
電車は、岸和田、泉大津と停まって客が随分と増え、次の羽衣では身動きもままならないほどの混雑となった。
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posted by zen at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白