2020年02月06日

思い出話 17

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
翌朝、私は前日の朝と同じ時刻に出かけようと、準備をしていた。
おばぁさんが
「善一郎、今朝はえらい早いんやな?」
と声をかけてきたけれど、
「学校で調べたいことあるねん!」
と曖昧な返事をして、私は家を出た。
通りには水間駅に向かう何人かがいたけれど、彼女の姿は見えなかった。
水間駅にも水間電車の車輛にも彼女はいなかった。
ちなみに当時の水間電車は、ラッシュ時でも高々2車輛で、通常ははわずか1輌で運行、ドアは乗降客が手動で開け閉めするのであった。私は、気落ちしている私自身を感じながら、貝塚駅で乗り継いで隣の蛸地蔵まで各停に揺られていた。それから二三日ばかり、私は早い時刻の電車に乗ってみたが、目論見はすべて外れてしまった。
それから何日かしての週末、プロパンガスの配達に出向いたら、例の女性が出てきた。同じ町内だろうとは考えていたが、全くどの家かは知らなかったので、大いに驚いた。
「あら、プロパンガスの配達、お手伝いかえらいわねぇ!」
という彼女に、
「こちらの方だったのですね。」
と答えるのが精一杯で、
「ガス漏れしないように、しっかりつないでおいてね。」
といった言葉にも全く上の空で、生返事すらできなかった。
それでも作業は5分程度で終わり、私もようやく落ち着いてきて
「朝早く水間電車で出会って、難波まで一緒に行って以来ですね?」
と尋ねることができた。
「早い日もあるんだけど、普通の日はもっと遅いの。水間駅九時の電車。その頃には南海電車もあまり混んでいないし。」
という意外な返事であった。ただ私にしてみれば、それが判っただけでも十分なのに、
「七月の第一週は、毎日早いの。この前一緒になった電車。」
とまで教えられ、独り有頂天になっていた。そしてその日は、夕暮れ時まで高揚していたのは言うまでもない。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白