2020年06月08日

ICAEを開催したい

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一昨日の話の続きである。
私の発表が、アメリカの同業者達には、理解してもらい難かった様ながら、フランスの同業者には評価してもらえたのは事実だった。いずれにしても、雷放電研究者としての私自身の存在を、認めて貰ったのは間違いなく、それが自信となったというべきであろうか?
そしてスウェーデンの留学を終えて帰国した1986年の秋に、URSI(Union of Radio Science International )のE分科会から翌年の総会の雷放電のセッションでの招待講演依頼が届いた。大学院学生時代、尊敬していたST先生が、やはり招待講演の依頼を受けたと喜んでおられたのを思い出し、私自身も大いに名誉だと考えた。ちなみに1987年のURSIは、イスラエルのテルアビブで開催され、その折URSI主催のエクスカーションで死海を訪ねたのは、今となっては40年近くも昔の思い出である。
そして1988年6月のICAEを迎えることになる。
私のセッションは、日本の冬季正極性落雷(自然雷)が、確かに存在することを二冬北陸で観測し世界に知らしめることに貢献してくださった、日本人にとっては大恩人のマルクス・ブルック教授が座長で、私の発表にもいろいろ気を使って盛り上げてくださった。ブルック教授には、日本人の兄弟弟子が多く、私が空電研究所のスタッフということで、好意をで接してくれたのに違いなかった。そんな応援もあって、私の講演は同業者との議論が盛り上がり、私なりにも十分に対応でき、私は
「この分野で国際的に十分やっていけそうだ。」
と確信めいたものを持ったのである。
そう考えると、
「この会議を日本でも開催したいものだ!」
と考え、日本の大御所の先生たちに
「ぜひ日本に誘致してくださいよ!」
と投げかけた。ただウプサラでは残念ながら、準備不足もあって誘致に至らず、次回は1992年セントピーターズブルグと決まった。そして大御所の先生達から
「河崎さん、そう考えるなら次回の会議で誘致してみたら。四年あれば準備もできるだろう!」
と発破をかけられたのである。
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posted by zen at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白