2020年06月11日

学術振興会様々

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実験は、結局のところ成果無しに終わってしまったが、実験終了後は蘭州を訪れ、さらに敦煌まで足を延ばしたあたりの顛末は、拙著「雷に魅せられて」に書かせてもらってある。
さて私は9月初旬日本に戻った。
あの頃、空電研究所における雷放電研究グループの立場が微妙であり、私とNMさんは工学部のロケット誘雷実験と一緒に研究する枠組みが大切だと、リーダーの竹内助教授を説得していた。学術振興会の予算で、中国を訪問したことですっかり強気になっていた私は、NMさんの
「堀井先生を代表にして、インドネシアでのロケット誘雷実験を日本学術振興会に提案しませんか?」
という戦略に一も二もなく賛同して、申請書作りをしておいた申請の採択が届いた。これは結構大きな国際共同プロジェクトで、翌年1989年1月には総勢10名余が大挙してインドネシアに出かけることになった。
そんな風で大いに盛り上がっていた折、今度は母校の大阪大学から耳寄りな話が届いた。
電気工学科電力工学講座の木下教授が定年退職し、雷放電研究のポストが空いていそうだというのである。私は
「うまく採用されたら、雷放電の研究は継続できるし最高だなぁ。」
と思案し、結局翌年の転勤に至るのだが、その経緯は別の機会に披露することにしたい。
いずれにしても中国から帰ったら、インドネシアでの野外実験の話や、大阪大学への転勤の話やらが、一緒に吹き出してきてそれまでの空電研究所での10年弱の苦労が一挙に実を結ぶことになったのである。その後はといえば、インドネシアに引き続き、トロント、アメリカ、オーストラリアと立て続けに海外観測がの申請が採択され、1990年代がある意味、それまでの苦労が実を結ぶ10年となったというべきだろうと考えている。
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posted by zen at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白