2020年09月30日

広帯域干渉計

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長月晦日
そもそも、広帯域干渉計を最初に手掛けたのは、当時博士課程の学生だったUT君であった。UT君は、デジタルオシロスコープを記録計代わりに利用した試験システムを、石川県奥獅子吼のロケット誘雷実験で稼働し、その後岐阜大学が中心で実施した1996年、97年の中国蘭州での高原雷観測で、機能を確信していた。そして私達は、専用の記録計ともいうべき「4チャネルA/D変換器」の製作を目指した。つまり広帯域干渉計として、完成させるための予算を科学研究費に申請して採択されたのである。本来それを1998年の観測に間に合わせる予定だったけれど、共同で製作にあたったメーカーの手違いで、一年の遅れとなった。だからRedyさんがこの年1998年に用いたのは、Recloy社のデジタルオシロスコープで、ちなみにこの頃には中国のグループは、全くの模倣品を稼働するようになっていたのは、驚きというべきだろう。やがインドネシアのロケット誘雷実験や中国奥地蘭州での野外観測のプロジェクトは終焉を迎えたが、私達のダーウィン観測はその後も続き、広帯域干渉計を用いた工学博士を五六名輩出できたのは、私の自慢の種である。そしてそのきっかけともいうべきMK君が、1999年の卒研配属で私のグループに参加することになったのは、ひとえに車好きだったということになるのだが、詳しくはまた明日にでも。
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2020年09月29日

Redy Mardiana さん

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古い話を、まだまだ続ける。1998年の観測から、インドネシア人の留学生、Redyさんがダーウィンの観測に参加するようになった。
Redyさんとの出会いは、インドネシアボゴール郊外のプンチャ峠で行ったロケット誘雷実験がきっかけらしい。らしいとはなはだいい加減なのは、私自自身Redyさんと一緒にプンチャ峠で実験をした記憶が残っていないからである。誘雷実験は、名古屋大学グループが主になって1989年から1996年か97年まで実施し、これまた私にとっては思い出深いプロジェクトである。あの頃の一時期三年間だったろうか、岐阜大学主体の中国奥地での雷観測にも参加しており、一年に三回も海外観測を実施ていたことになり、今から思えば「超多忙」というべき状態だった。これに国際会議やワークショップを加えれば、半年以上も国を空けていたことになる。
さてそのRedyさんから、1996年メールを受け取った。
「バンドン工科大学で修士課程を修めているので、日本で博士の学位を取りたい。そのための奨学金を日本の財団に応募するから推薦状を書いて欲しい。」
という内容であった。私には、ロケット誘雷実験のグループなら敢て反対する理由もなく、推薦状を書いたところ運よく採択された。そしてRedy さんは1997年の春には大阪大学にやって来て、翌年からの博士課程入学が決まった。さらに博士課程では、広帯域干渉系による観測の実施とデータ解析を担当することになり、ダーウィン観測への参加となったのである。Redyさんはインドネシア生まれ育ちということもあって、ダーウィンでの観測では予想以上に活躍してくれた。ただ宗教の関係上、食事内容には学生さん達との好みが異なり、フィールドコマンダーを担当していたMMとはよくぶつかっていた。そんな関係もあって、私なりにハラル料理を作ったりして、緩衝材になるよう努めた。そういった日常的な話題はさておき、この広帯域干渉系で雷放電を観測できたのは、私のグループにとって大いなる成果になった。
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2020年09月28日

情熱大陸

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ダーウィンの雷観測がらみで、自慢話を披露したい。
1998年の4月か5月だったと思う。
東京のテレビ制作会社というのディレクター人からから電話が入って、落雷事故について取材したいという。偶然翌日、私には東京出張の予定が入っていたので、
「来阪には及びませんよ。明日は早い目に上京するので、午前中にどこかで会いましょう。私の会議は新宿の工学院大学で、午後一時からですから。」
と午前中の取材を約束した。
翌日赤坂見附の喫茶店で、予定通り取材に応じたところ
「大阪の箕面市に、落雷にあっても命を落とさなかった方がいるのです。その方は生涯で二度も雷に撃たれたそうで、ご本人は高電圧体質を自認していらっしゃいます。是非取材に同行して頂いて、解説してください。○○テレビの番組で紹介したいのです。」
という申し出であった。
「私は、こういったきわもの番組には加担したくないなぁ。番組を作る自由まで縛る気もありませんが、高電圧に強い特異体質なんてありませんよ。落雷にあっても助かることもありますが、それはいろんな幸運が重なっての事ですよ。まぁ私は協力をお断りしますから、他の雷研究者を探してください。まぁ協力する人はいないでしょうが!」
と、言い残して十分足らずで席を立った。その後その番組制作がどうなったのかは知らないけれど、一週間ほどしてその上司というMSさんの訪問を受けた。MSさんは
「うちの若いものから報告を受けました。大変失礼なお願いをしたそうで、視聴率狙いというのもありますし、あの件はお忘れ下さい。ところで河崎さんは、どんな研究をされているのですか?雷の研究とは聞いていますが、一度真面目な観点から雷の研究を取り上げてみたいと考えています。」
とおっしゃり、私はダーウィンでやっていることをあれこれ話した。
「へぇ、二か月近くも現地で学生さん達と一緒に・・・。」
とやけに感心され、二時間程で帰っていかれた。
そして一か月ほど経った頃、例のMSさんから電話があり
「今年もダーウィンに行かれますか?一か月間の同行取材させて頂きたいのですが。情熱大陸という番組で、先生の研究を紹介したいのです。」
という申し出を頂いた。真剣な取材ドキュメンタリーとなれば、私には断り必要もなく、11月12月と取材して頂いて、1999年1月24日に全国放送されたのである。あの当時はまだ情熱大陸という番組の知名度は高くなかったが、今日20年を超す長寿番組にまで成長している。
ともかく情熱大陸で取り上げて貰ったことは、今でも私には自慢の種なのである。
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2020年09月27日

ハンプティドゥ

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古い話を続けている。
1995年に始めたオーストラリアノーザンテリトリー出始めた雷観測は、1996年にはダーウィン郊外に、そして1997年にはさらに奥地のミドルポイント村にと拠点を移し、その後2010年まで続くのだから、くどい様ながら私にとってのライフワークに近いものがある。都合の悪いことにノーザンテリトリー・ダーウィン界隈の雷活動期は、11月から年をまたいで1月頃までで、同じ時期国内の北陸地方でも俗にいう”冬季雷“が活発で、福井県三国港での観測も並行して実施せねばならず、私達のグループは二重生活ともいえそうな多忙な観測日程をこなさねばならなかった。そういう意味で、グループの学生さん達には、感謝の気持ちに加え心苦しさも持ち続けていたものである。
ともかくダーウィンの話を続ける。
ミドルポイント村は、ダーウィン市内までアーネム及びスチュアート両ハイウェイを高速で駆って優に一時間はかかる距離にあり、夜ともなれば辺りは漆黒の闇になる。早い話娯楽には全く無縁の地なのである。30分程ダーウィン側に戻った辺りにハンプティドゥと呼ばれる地域があり、そこには地元の人達が集まる日本でいう居酒屋に近いレストランがあったので、昼食には時折利用したものである。ただ昼間から屈強な労働者風の大勢がビールを飲んでいたりして、その光景を見て驚く学生さんも少なくなかった。
先日述べたように、このハンプティドゥには、地上高50mの給水塔があり、その頂部は直径10mほどの円盤状になっていたことから、やり始めた広帯域干渉系のアンテナを設置することを考えた。記憶に間違いなければ、2年か3年は苦労して設置したけれど、なぜかよいデータは取れなかった。苦労してといったのは、ほぼ垂直な円筒内の梯子をアンテナやケーブルを担いで上らねばならなかったからで、当時40歳代後半だった私はまだ大丈夫だったうえ、今は近畿大学で教鞭をとっているMT君が、まるで鳶職の身軽さで活躍してくれた。そう地上50mの円盤からの眺めは壮大で、360度すべて地平線だったからいまだにデータの取れなかったのが悔やまれている。何年かの失敗の後同じ地区のタミミン高校の屋根に置かせてもらったこともあった筈で、今はその高校が、カレッジ(多分短大)になっている。グーグルマップで眺めてみて、20年の時の流れを知らされる思いである。

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2020年09月26日

Window on Wetlands

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ミドルポイント村に観測拠点を移動した1997年以降、2010年まで10月末になるとダーウィンに出かけるのが年中行事となった。ミドルポイント村から車で20分程度の距離にある高台に、Window on Wetlands (WOW)と呼ばれるビジターセンターがあり、高台ゆえ見晴らしが光学観測に適していることから、共同研究の岐阜大学のTNさんやWDさんがとりわけ重宝がっていたように記憶している。大阪大学の観測計は、狭帯域の干渉系から広帯域の干渉系にシフトしたのは、色々な意味で狭帯域に限界を認識した1998年からで、以降は大阪大学の独自技術である広帯域干渉系一本に絞って行った。そしてその技術が確実なものになるのは、なんと2010年となってであるから、力不足だったとはいえ息の長い研究になったということになろうか。私は一つの夢として、このビジターセンターWoWの屋根に、広帯域干渉計を常時設置しての稼働を考えていたが、この夢は残念ながら実現しなかった。
このビジターセンターWoWの女性職員のパムさんとウエンディさんという二人が、私達に親切にしたくださったのは、大いに有り難かった。例えば閉館後の入館についても、滞在期間中は合鍵を貸してもらっていて、真夜中にでも観測機器の点検に行けたのである。そのお礼の意味もあって、ミドルポイント小学校の子供達に、雷の話をしたことも何度かあって、あの集まりの雰囲気は、未だに私をほのぼのとした気持ちにさせるこおともある。ちなみに、最初古くなったマットレスを提供してくれたのはパムさんの呼びかけであったと聞かされており、官女たちの応援なしでは、ここまで続かなかったかもしれない。

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2020年09月25日

ミドルポイント村へ

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オーストラリア・ダーウィンでの雷観測は、なんと足掛け16年(1995年〜2010年)に及ぶことになり、私にとってのライフワーク的な存在となるのだが、1996年のあの時点では、私自身もそんな長丁場になるとは、考えてもいなかった。
そもそもこのきっかっけをくれたのは、アメリカの友人アール・ウィリアム(MIT)さんとブラッド・マズール(NSSL)で、足場をしっかりと固めることになるのが、ニュージラランド・オタゴ大学のディック・ドーデンさとリック・ガムリ(タスマニア在の避雷針会社社長)のおかげである。きのうも紹介したように、ほとんど毎日ダーウィン郊外までの30〜40qを通うことは好ましいことではなく、ディックさんから
「少し奥地に行けば、ミドルポイントという村があり、そこには国立公園管理の出張所と、今は使っていないが共同の住宅がある。そしてその途中のハンプティドゥーという地区には、地上高50mの給水タンクがあって、光学観測器の設置には好都合なんだが!」
と聞かされた。
その数年前に、雷雲の雲頂から電離層に向かって伸びるレッドスプライトという現象が発見され、雷放電研究の仲間内ではその観測に取りくむ者が多くなっていた。私達は光電子倍増管付きのビデオカメラを準備してディックさんに協力することになっていたこともあり、助言を受け入れることにしたのである。
ただ空き家になっていた共同住宅の汚れはすざましいものがあり、同行した学生さん達は思わず絶句する有様であった。それでもそこに住むことを決めたら、近所のおばさん達が古くなったマットレスを人数分だけ運んできてくれて、夜にはどうにか就寝できるようにまで片づけることができた。
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2020年09月24日

パーマストン

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ダーゥインの長期滞在者用貸別荘から、郊外のロバートソンとカウワンディまで毎日通う生活は、若い学生さん達には結構楽しかったようだった。途中にパーマストンという地区があり、そこには馬鹿でかい24時間営業のスーパーマーケットがあった。貸別荘での生活だけに、原則自炊だったから、食事の材料はそのスーパーマーケットだ買い求めるのが常だった。夕方帰宅してNK君とYS女史は甲斐甲斐しく食事の準備をしてくれるのだが、どう見ても楽しんでいるとしか見えなかった。ただ雷雨の発生が夕方になると、宿舎に戻るのが結構遅くなり、それから食事の準備をするのはあまり気がすすまなかったけれど、我がフィールドコマンダーのNK君はそんなことは決して許すようなことがなかった。さらに感心させられたのは、どんなに遅くなってもお湯を沸かし、それを冷ましてペットボトルに入れ冷凍庫で凍らせるという作業をきちんとやり続けてくれたことある。そして翌日出かけるときには、各人に持たせるという今でいう熱中症対策を怠らなかったのである。なおロバートソンは、軍隊の駐屯地の一室を借り受けていたし、カウワンディは多分演習場なんだろう広い広場で、そこにコンテナを設置して観測のためのワークステーションを置いてあったのだが、どちらも部屋に入ると暑さを忘れることができた。それでも毎日のペットボトルには、正直助けられた。
あれから四半世紀25年経ってしまっているけれど、今はどうなっているんだろう。
実は毎日の通いが非効率的という結論から、翌年は干渉計の設置場所をさらに奥地に移すことになるのだが、それはまた明日にでも。
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2020年09月23日

スチュワートハイウェイ

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やけにNK君を持ち上げてしまったかもしれない。とはいえ、彼の気配りははるかに私の想像を超えるものだったことは間違いなかった。
話を1996年11月のダーウィン野外観測に戻す。ただ観測の詳細は、科学研究費の申請書にも記載されおり、これは一般公開されいる。興味あるご常連様は、ぜひネットサーフィンで探していただきたい。
ともかくかいつまんで紹介するなら、観測部隊はダーウィン市内の長期滞在者用二階建て貸別荘に住み、30〜40q離れた郊外のロバートソンとカウワンディの二地区に干渉計を設置した。二地区はおおよそ10q離れており、雷放電路の三次元画像化には適していると考えたのである。ちなみにこの時の干渉計は、俗にいう狭帯域干渉計でそのアンテナを設営している最中に、NK君が自身の影の無いことに気付いて
「先生、影が全然ありません!」
と大騒ぎしたのである。
些細なことながら、私はこのNK君の観察眼というか注意深さというかに心惹かれ、博士課程への進学を進めたけれど、結局は修士課程を終えてトヨタに就職した。
この年のダーウィンにでかけたのは、NK君に加え名古屋大学当時の先輩のNMさん(当時豊田高専教授)、岐阜大学助教授TNさん(現在同教授)、FT助手(現在阪大教授)、博士課程学生のOJ君(現在多分SONY)、それに岐阜大学修士課程学生のYS女史(現在名古屋大学准教授)あたりだったろうか。いずれにしても、ほぼ毎日スチュアートハイウエイを時速100q程でロバートソン、カウワンディに通ったのだが、NK君とYS女史の二人が中心になって運転してくれた。いまから考えれば、よく事故も起こさずといったところである。
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2020年09月22日

初代フィールドコマンダー

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秋分の日
そもそも科学研究補助金で、大学生を海外出張させるという制度そのものはなかった。ただ私の研究は、野外での雷観測を実施して「雷放電の秘密を明らかにする。」といったところにあり、野外での観測無しでは研究が成り立たなかった。さらに一か月から二か月に及ぶ野外観測を教員だけで遂行できる筈もない。加えて言うなら、毎日寝起きを共にしながら、あれこれ教育ができるし、日々の議論も活発にできる。私が研究室に所属する学生諸君に臨むことは、その研究を、まず面白いと受け止めてくれることであったこともあって、学生にも海外での野外観測に参加できる機会を与えたかったのである。
だから次の年は万難を排してというと大仰ながら、早いうちから事務方と打ち合わせを密にしたことが功を奏して、NK君のみならず科学研究費申請にあたって分担者に名を連ねて貰っている岐阜大のYSさんの参加も実現できた。このYS さんは、大阪大学の博士課程に進学してくることになるのだが、彼女の話は別の機会にしたい。
さて修士1年になったNK君、一年遅れでダーウィンの観測に参加でき、記憶に間違いがなければ、一か月半に及ぶ全期間を「フィールドコマンダー」として活躍してくれた。NK君は無類の車好きで、ダーウィンのホテルと干渉計アンテナを設置する郊外のロバートソンを通うのに、ある意味うってつけの人材であったのである。
ダーウィンでの観測は、足掛け16年にも及ぶことになるのだがこの1996年のNK君以後、出発に当たっては学生の責任者を「フィールドコマンダー」として選ぶようになったのも、NK君のコマンダーぶりが秀でてたからに相違ないと、私は考えている。NK君のコマンダーとしての徹底ぶりを強く印象付ける一つに、一か月半に及ぶキャンペーン中の収支は、一セントの誤差もなかった点であろうか。豪快な車の運転とは真逆ともいえる、超緻密というべきだろうか性格には驚かされた次第である。
ちなみにNK君以後、一セントの誤差もなくといったフィールドコマンダーを私は知らない。
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2020年09月21日

ダーウィンでの雷観測

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こんな経緯もあって、NKの卒業研究のテーマは、いやおうなしに雷放電ということになった。
この年から、オーストラリアダーウィンでの野外観測が始まる予定だったこともあり、NK君には
「10月末ごろから、ダーウィンに出かけるので、一緒に連れてゆくよ。パスポートはあるかな?ただし大学院に合格できなければ、この話はご破算だよ。」
と伝えた。余談ながら私の大阪大学での教員生活24年間で、配属先が自分の意志に関係なく決まってしまったのは、このNK君ともう一人、現在近畿大学で教鞭をとっているMT君の二人だけだったろうと考えている。
今日はともかくNK君についてである。
ともかくもNK君は、8月末の大学院の入試では無事合格。
だから、10月末には一緒に出かけようと、9月中旬ごろから観測機器の整備は輸出手続きの準備を始めた。出張手続きの書類も無事事務室に提出して、順風満帆だった筈だったのだが、10月10日過ぎだったろうか、事務室の担当から呼び出しがあり
「4年生の学生さんは、科学研究費の費用で、海外出張はさせられません。工学部事務の回答です。」
と聞かされた。
「物見遊山に連れて行くわけでもなし、本人も大学院進学が決まって、今年から少なくとも三年間は観測に参加できるのに!」
とお願いしたけれど、
「規則ですから!」
と取り付く島が無かった。
私にしてみれば、約束をまるで反故にしたことになり、NK君に合わす顔もないといった具合だったが、本人はあっさりしたもので、
「じゃぁ来年連れて行ってください。」
とあっけらかんとしていたのは、有り難かった。
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