長月晦日
そもそも、広帯域干渉計を最初に手掛けたのは、当時博士課程の学生だったUT君であった。UT君は、デジタルオシロスコープを記録計代わりに利用した試験システムを、石川県奥獅子吼のロケット誘雷実験で稼働し、その後岐阜大学が中心で実施した1996年、97年の中国蘭州での高原雷観測で、機能を確信していた。そして私達は、専用の記録計ともいうべき「4チャネルA/D変換器」の製作を目指した。つまり広帯域干渉計として、完成させるための予算を科学研究費に申請して採択されたのである。本来それを1998年の観測に間に合わせる予定だったけれど、共同で製作にあたったメーカーの手違いで、一年の遅れとなった。だからRedyさんがこの年1998年に用いたのは、Recloy社のデジタルオシロスコープで、ちなみにこの頃には中国のグループは、全くの模倣品を稼働するようになっていたのは、驚きというべきだろう。やがインドネシアのロケット誘雷実験や中国奥地蘭州での野外観測のプロジェクトは終焉を迎えたが、私達のダーウィン観測はその後も続き、広帯域干渉計を用いた工学博士を五六名輩出できたのは、私の自慢の種である。そしてそのきっかけともいうべきMK君が、1999年の卒研配属で私のグループに参加することになったのは、ひとえに車好きだったということになるのだが、詳しくはまた明日にでも。

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