2021年01月20日

阪神淡路大震災 3

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後になって考えると、あの震災の日に海外出張に出かけてしまった地震の迂闊さというか、能天気さというかを、考えずにはいられない。
最初の頃のテレビ報道では、大阪や神戸の街は都市機能は失われていないと、繰り返し告げていたことも関係しているのだろう。
それに出張旅費が前払いであったこと、その場合出張日程の変更は、ある意味面倒であることから、
「出かけることができるなら、そのほうが気が楽だ!」
と考えたからでもある。
それにもまして、起き抜けの大揺れで、気付かないまでも興奮状態にあったに違いない。
大阪市営地下鉄は、運転を中止していたので、私は京阪電車の守口から淀屋橋に向かった。
その電車が京橋に着いた頃、結構な余震があった。
それでも何度か停車を繰り返しながら、京阪電車は淀屋橋に到着した。
地下鉄御堂筋線も運休中で、私はやむを得ず地上に出た。
淀屋橋界隈はやけに静かで、水道管が破裂したのか、水が階段を登り切った辺りで湧き出していた。それでもしばらくするとタクシーが通りがかり、私は南海難波駅に向かった。
タクシーの運転手さんは
「走っていたら、大きな揺れでパンクしたのかと思いました。それにしてもすごい地震でしたねぇ。」
と、つぶやくように話していた。
難波駅では、南海本線・空港線は、現在安全点検中ということで、運航開始の時刻は未定と知らされ、駅に併設されているホテルのロビーが待機場所だと案内された。結局正午近くまでそのロビーで待たされ、一時頃には泉佐野駅に着くことができた。泉佐野駅では
「関空橋の鉄道、安全点検が終わっていないので、バスで関西空港まで行ってもらいます。」
ということで、私が関西空港のカウンターに付いたのは、午後1時30分頃であった。そして
「離陸は、午後5時くらいでしょうか?」
と頼りなさそうにいう係員から、私はボーディングパスをもらった。
(この稿続く)
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posted by zen at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白