2021年01月22日

阪神淡路大震災 5

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
阪神淡路大震災発生の日から10日間、私はインドネシア・ボゴールの町はずれにある、プンチャ峠にいた。このあたりのことは、何度かこのブログで紹介した筈である。ともかく実時間での経験は、全くない。だからあの時の修羅場については、本当のところを知らない。新聞やテレビの録画放送で見聞きし、なんとなく知っているように錯覚しているだけかもしれない。例えば、NHKのアナウンサーが現場中継をしながら泣いたという有名な話も、記憶ではなく記録として知っているだけなのである。
他にもまだある。
インドネシアの出張から帰った次の日、私は深く考えることもなく守口市の自宅から、車を駆って大学に向かった。鳥飼大橋の南から中央環状に入り、吹田の阪大キャンパスまで、ラッシュ時でなければ20分足らずで到着する。ところが中央環状線が大渋滞で全く動かないのである。いやはや迂闊という他はなく、三時間近くかかって吹田キャンパスに到着する有様であった。
あの頃は地元の電力会社と、レーザー誘雷の共同研究をしており、2月半ばだったろうか、その打ち上げを兼ねた宴会で、電力会社の研究所のある尼崎から、国道2号線をに走ることがあった。さすがにこの時は自分の車ではなく、電力会社の用意してくれたタクシーでいったのだが、初めて惨状を目の当たりにしたのであった。新聞紙面で見るのや、テレビ画面を通してとは異なり、実に生々しかった。そして
「こんな時に宴会なんぞしていいのか?」
と、密かに反省をしていた。
それにしてもあの頃の、交通渋滞、一体いつ頃解消したのだろう。
3月20日のオームサリン事件の頃には、少なくとも守口・吹田間はほぼ平常に戻っていた。
いずれにしても、阪神淡路大震災の惨状の多く、私には記録として残っているだけなのである。それにしても、よくもまあ、その当日海外に出かけたものである。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白