2022年05月31日

爺版・折々のことば 26

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
皐月晦日
流行性感冒ですか?でも明後日から東京で大事な会議があるんですが、出張したらあきませんか?

私は自身の記憶にある限り、73歳のこの日まで、インフルエンザ(流行性感冒)には4度ばかり罹患している。最も直近は2006年か2007年の1月の事で、大気電気学会の年次大会が東京で開催される三日前、近所の病院で
「タミフルを五日分処方しますから、熱が下がっても最後まで飲み切ってください。」
と、医師に言われ口から出たのが、このことばである。
今日の新型コロナなら、こんなことはまず尋ねなかったろうが、60歳前だったとはいえ、インフルエンザ(風邪)は、病気の内には入れてなかったきらいもある。例えばその前の罹患は、1987年の冬で、38度くらいの熱もあったが、当時住んでいた愛知県から大阪まで新幹線で出かけた。ところが昼の会議での無理がたたったのだろう、夜にはえらく熱が上がり、止むを得ず市販のアスピリンを飲んでホテルで一夜を過ごしたら、翌朝には回復していた。
さて2000年になってからの、インフルエンザ、実際タミフルの効果もあってだろう、二日も寝ていれば、熱も平熱となり、節々の痛みも潮の引くがごとく消えてしまった。だから医師との約束通り(?)、四日目には大気電気学会に出向いた。
さすがにこの時は、学会の仲間からは
「河崎さんインフルエンザ?近づかないで、うつると嫌だから。」
とある意味の毛嫌いをされた。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月30日

爺版・折々のことば 25

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
おかぁさんも、先生やでぇ!
私が小学生の3年生だったか4年生だったかの頃の、母のことばである。
季節は多分冬で、その朝珍しく寝坊した母が
「善一郎急ぎ。今朝は戦争やでぇ。」
と物騒な言いようで私を急き立てた。
それこそ朝食もそそくさと済ませ、二人そろって家を出た。
当時は、通学路なんて気の利いた言葉はなかったけれど、母は校則で決められている通学路ではなく、俗に我々が「山道」と呼んでいた近道の方に向かった。
「山道は学校の行き帰りに通ったらあかんね。先生に怒られるでぇ!」
という私に、母が返したことばである。
「急がな学校に遅れるさかいな!」
とだけ言って、山道に急いだ。
ちなみに子供の足で30分は優にかかる通常の通学路に対して、山道は10分足らず。ただし村境の川には手すりも何もない橋が架かっており、今考えるとこの橋が危険と先生方が考えたうえでの、通行禁止の規則だったのだろう。
ただ気真面目だった母の、「おかぁさんも、先生やでぇ!」といったあのことばには、
「母は意外とおちゃめな一面もあったのだ。」
と考えたりしている。
60年以上も前の母のことばながら。
lanking.gif
クリックして投票を!



posted by zen at 12:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月29日

爺版・折々のことば 24

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
私の特技はナンパです。
(I am good at hunting human beings!)。

私は、レストランや喫茶店などで、近くのテーブルの客に声をかけることが多い。それも国の内外は問わない。とはいえ、決してのべつ幕無しというわけではない。まず私が一人の場合が多い。そして「ナンパ」の相手は、何人であってもかまわないし、老若男女を区別しない。さらに先方が、沈んだ雰囲気であろうが、盛り上がっていようが、それはそれで臨機応変。とはいえ、場を読む観察力も肝要で、一声、二声あたりで、先方に引いていく気配があれば、続けないことにしている。逆に良い雰囲気が出来そうなときには、このことばを申し上げる。さすがにこのことばに、相手は一瞬強張るものの、私が目で笑って見せると、一気に打ち解けて心の垣根が壊れて、大いに話が弾むのである。このあたりの極意は、愛弟子のY君に伝授したけれど、果たして彼はこんな芸当を身に付けてくれただろうか。
そんな私の武勇伝の中でも、40年程昔1月3日の英国ヨークのホテルでの「ナンパ」はなぜか心に残っている。ノルウェーでの観測の帰りに、立ち寄ったのだが、朝食を取ろうとダイニングルームにおりていったら、ほとんど満席で老婦人が一人で食事しているのが眼に入った。だから一緒に座って食事して良いかと聞き、そして
I am good at hunting the nice lady.
と申し上げたら、
I haven’t experienced being hunting for these 30 years.
と返され、お互い大笑いして小一時間の朝食を楽しむことができたのである。
朝食の後は、楽しく食事をできたとお互いに例を言い合って別れたけれど、お互いの名前を名乗り合うことはなかったと記憶している。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月28日

爺版・折々のことば 23

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
失礼ですがどなた様ですか? えっ、越前蟹屋の奥さん? ・・・昼間とえらい違うやん!
20年近くも昔、福井県三国港で冬季雷の観測をしていたある冬の朝、冷やかし半分に朝市を訪ね
「あら先生、朝市に来てくれたの?」
と声をかけられたときに、ふっと口をついて応えたのがこのことばである。
冬季雷の観測は年末ぎりぎりまで続けるのが常で、だから最後まで残って観測してくれた学生には、正月土産に越前蟹を持たせて帰らせるようにしていた。その蟹を買い求めていたのが蟹卸のお店で、その奥さんには本当に良くしてもらっていたのである。
その奥さん、いつも身ぎれいにしていらっしゃったし、なかなかおちゃめな感じだったのが、朝市では化粧っ気もなく、本当に老婆に見えた。だからついつい本音が口をついて出たのだろうが、今日ならセクハラにもなりかねない大失敗であった。
後日談ながら、数日間は奥さんに口をきいてもらえなかった。

lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月27日

爺版・折々のことば 22

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
雷に何度撃たれても、命に別状ないなんて特異体質があるわけないやん。高電圧に強い体質、ロボットや有るまいし。なんぼ視聴率の高い番組や言うても、その解説には出たないな。

私が現役の阪大教授だった頃、人気テレビ番組の取材を受けた。その際
「お隣の市、箕面市に特異体質の方がいらっしゃって、これまでの生涯に二三度直撃雷を受けられたそうです。雷の専門家として解説願えますか?」
ときりだされ、私の返答がこのことばである。それでも取材の担当者は
「実際しびれて気も失ったというので、落雷を受けたことは確実なんです。」
と食い下がった。この時私の頭をよぎったのは、「バカの壁」で一世風靡された養老孟さんで、研究室の学生に、ある宗教家の空中浮揚や水中での呼吸を、真剣に信じている学生が居て、大学教授という職業のむなしさを感じられたのか、退職されてしまったという話を思い出していた。
「わざわざ大阪まで来んでも、東京には電力中央研究所や東京大学の生産研に雷の専門家がいるから、そちらに行かれたら。」
と申し上げたら、
「箕面市の取材のついでです。」
とまたえらくドライなコメント。ともかく丁重にお引き取り願った。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活

2022年05月26日

爺版・折々のことば 21

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
タクシーのメーター、一人当たりなんちゅうのどこの国にあんね。いい加減なこと言うなよ。君ら、メータの金額だけ払って、はよタクシーから降りた方がええで。これ雲助タクシーや!
私が生まれて初めてシンガポールに来た、1989年の1月。昭和天皇崩御の日の事である。ジャカルタ便に乗り継ぐまでの数時間、シンガポールの街を散策したときの武勇伝である。あの当時はこのシンガポールでも、日本人とみれば
「偽物あるよ!」
と、有名ブランドの偽物を街頭で売りつけに来ることもあったほどである。
今となってはどこであったか判然としないけれど、多分オーチャッド界隈だったのであろう。タクシーを探していたら、何やらもめている一台が目に留まった。見れば客は日本人の若い女性が三名で、当惑している風。どうしたのだろうと尋ねたら、
「タクシー降りようとしたら、メーターの代金は一人分だから、三倍して払えというんです。」
というではないか。我々は男性三人連れだったこともあって、私がさっきのことばを英語でまくし立てたのである。タクシーの運転手は正規の代金を受け取り、急発進してどこかに行ってしまったけれど、
「君ら英語でちゃんと交渉せなあかんで!」
と日本人の女性に、おじさんらしく説教して分かれた。
ちなみに今日のシンガポールには、この手の雲助タクシーはまずいない。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 01:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月25日

爺版・折々のことば 20

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
シンガポールは、年中夏ですから!
ここシンガポールに住んでおおよそ九年、そして時々日本の友人から尋ねられるのが
「シンガポールは、今季節なんなの?」
といった質問。
シンガポールは、ほぼ赤道直下とご存じの方は、そんな質問をしないけれど、四季のある日本に住んで、国の位置関係に無頓着な知り合いは、時候の挨拶のつもりで尋ねられるのだろう。いやむしろ、日本人気候の挨拶を、会話のきっかけとする習慣が高いのだろう。
堂々巡りのようになるが、季節感の豊富さが、こういった会話の「枕詞」を日常化させたに違いない。
「今朝は、本当に冷えますねぇ!」
「梅の香りがしてきますなぁ。」
「いやぁ、昨晩の暑かったこと。熱帯夜だったみたいですねぇ。」
「本当に、すがすがしい季節になりました。紅葉までにはもう少しでしょうが。」
等々、といった具合である。
ところが私が年中夏ですからと応えると、大概の場合会話が途切れてしまう。私はある意味そのまの悪さが楽しくて、確信犯的に
「シンガポールは、年中夏ですから。」
と、応えることにしている。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月24日

爺版・折々のことば 19

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
失恋したからと言って、生きる望みを無くした、死にたい、という学生さんにはかけることばはありませんなぁ。ご自由におやりください。
昨日新入生に対する導入教育の講義の際のことばを上げさせて頂いた。今日のことばも、その折のやり取りである。講義のたびに電子メールでのレポート退出を課していたのだが、その中に
「ガールフレンドに振られ、生きる望みがなくなった。」
といった記述があり、その内容に対しての返事だから、口から出たことばではない。
ただし後日談がある。
研究室に配属されてきた学生の一人が、卒業も近づいてきた頃
「一年生の時失恋して、レポートに死にたいと書いたら、『勝手にしろ!』と書かれたのは、実は僕なんです。」
というではないか。私自身そんなやり取りのあったことを覚えていたので、
「そんな薄情なこと書かれても、私の研究室に配属されて来たんはなんでや?」
と返した筈である。
ちなみにこの学生、修士課程に進学し、修了後は世界最大規模の自動車メーカーで働いている。もう20年近くはあっていないけれど、インドやアメリカ合衆国に長期滞在していたと、風の便りに聞いている。

lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月23日

爺版・折々のことば 18

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
この列の中程に座っている、そうその女性。まず氏名と所属学科をおっしゃってください。
大阪大学工学部電気系四学科に対しての導入教育の講義で、学生への質問を出すために、偶然指名した女学生へのことばである。何せ電気系四学科まとめての講義だから、出席者数は160名という大教室での講義、学生諸君の集中力を切らさないための工夫が必要で、私なりに知恵を絞ったのが、聴講している学生諸君との問答である。さらに当時かなり一般的になっていた電子メールでの学生諸君とのやり取りも加えて、結構評判が良かったと自負している。
さて女子学生とのやり取りである。
私の問いかけに、ともかく立ち上がったけれど何やらもじもじして、答えに窮している風。一方その生徒の回りの学生達が笑いだし、その笑いが教室中に万延してしまった。
「なんや君他学科の学生さんなん。受けるのは自由やけど、単位は貰おもえへんと思うよ!」
と私。するとその女子学生
「他学科と違って、立命館大学、他大学なんです。友達が『面白い講義があるから、受けに行こう。』と誘うのでやってきました。」
と述懐。教室中が大爆笑となった。止むを得ず私は
「この講義は電気系の教官の持ち回りで、私の担当はあと一回。だからあなたはもう一回受講しに来るよう。学生諸君に課している電子メールでのレポートも提出するように。」
という具合に収めた。
ちなみにその女子生徒とのやり取りは、彼女の就職が決まるまでおおよそ三年間続いた。記憶に間違いが無ければ、大阪にある一流ホテルに就職が決まったと、報告を受けた筈である。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月22日

爺版・折々のことば 17

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
お金をもうけたくないとは言いませんが、私がシンガポールに来たのは、私達が大阪大学で研究用に開発してきた雷放電路の可視化装置を実用化し、東南アジアで稼働してこの地域の人達のお役に立ちたいからです。アジア人の作った装置で、アジア人の安心安全を担保する。いつまでも欧米の食い物にはされたくありませんから。
これは、2013年9月、大凡9年ほど前ここシンガポールにやって来た時、迎えてくれた現地の社長が
「河崎がシンガポールに来て何をしたいのだ?お金持ちになりたいのか?高い車を買いたいのか?」
と、私に質問したとき答えたことばである。
いささか気負っていたことは事実ながら、本音であったことは間違いない。
以来苦節9年、徒労、失敗を重ねほとんど諦めていたのだが、先日爺版・折々のことば 3にも書いたようにhttp://zenk.sblo.jp/article/189521277.html 愛弟子のおかげで実現に漕ぎ着いた。 、
https://www.jst.go.jp/pr/info/info1564/index_e.html
https://www.jica.go.jp/english/news/press/2022/20220519_41.html
とはいえ、プロジェクトはようやく形を表し始めただけで、これから6年老骨に鞭うって進んでいきたいと決意している。九年間を無駄に過ごしたなんぞと、決して考えないで。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白