2022年05月02日

10年前の今頃は

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八十八夜

定年まで一年を割ってしまった10年前の今頃、当時は未だエジプト・アレキサンドリアに赴任中だった。以下はその頃(5月6日の無いようである。


日本では昨日午後11時頃,原子力発電所の稼働台数が0となった由。
そして原子力発電による電力が0となるのは,1970年以来との事である。
御常連様は1970年と聞いて
「その時の電力は何処に送られたの?」
と,疑問には思われないだろうか。
実は私達団塊の世代にとって,実に想い出深いあの大阪・吹田万博に送電されたのが1970年の事で,商用としては我が国最初の事なのである。ここで,ことさらあのという接頭辞まで付けて申し上げるのにはそれだけの理由がある。
青臭い言い回しながら,私達団塊の世代は吹田万博で,大いに啓発された。当時私は大学2年生で,万博会場が大学キャンパスの隣という地の利もあって何度か訪れ,大学生ながらに近未来技術を目の当たりに見て,大いに触発され
「あんな未来を実現する一人になるのだ!」
と考えたものである。そしてそれぞれ口にこそ出さなかったけれど,似た様な印象を持った同年輩の仲間も少なくなかろうと確信している。それが,第二次大戦から復興し高度経済成長を成し遂げた諸先輩方から手渡された我が国を,オイルショックを乗り越え電子立国日本として世界一・二の経済大国に押し上げる原動力であったというのが私の理解である。原子力発電所の話の筈が,えらく本題からずれてしまった。
さて我が国の原子力発電所稼働0の話である。
昨年3・11の地震,津波発生による福島原子力発電所の事故以来,原子力の安全性が種々取り沙汰され,現時点では否定的な意見が強い。実際あれだけの事故を起こしたのだから,当然と言えば当然かもしれない。
ただと天の邪鬼の私は思う。私自身,原子力発電に関しては完全な安全は無いと常々考えてきていたし,いずれ失くさざるを得ないとの持論を持っている。だから原子力発電に依存しないための長期展望を,皆で考える事には肯定的だけれど,今日の原子力極悪説にはなんとなく不可解なものを感じてならない。確かに政府の態度も納得できないけれど,それを批難する野党や地方自治体首長連合の態度にも納得できないものがある。だからと言って,私自身に提案すべき解答のないのも事実たけれど・・・。
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posted by zen at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月01日

黄金週間の思い出

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皐月朔日、そしてメーデー

この時期、黄金週間の頃になるとふと思い出すのは、三連休のあった昭和33年5月3日(土)から5月5日(月)の事。あの当時は土曜日は未だ半ドンだったし、ハッピーマンデーなんぞという有難い制度もなかった。だから3日の憲法記念日、5日の子供の日が日曜をはさんで三連休となった。三連休という言葉はともかく、私はあの年、三日も続けての休みが、春休みや夏休み以外にもあることを知った。こういった曜日の感覚を、意識するようになったということで、ある種の成長だったかも知れない。
私は当時小学4年生、母も体調を悪くする前のことであったが、老人性の痴呆症が始まっていた祖母を一人置いての遠出はあり得なかったのだろう。年の初めにカレンダーで見つけた5月始めの三連休だったのに、私には退屈して過ごしたかすかな記憶しか残っていない。
当時の遊び仲間といえば、向かいのT君、ただ彼の母上の実家が神戸だったので、多分出かけていたのだろう。この73歳の今日一番の親友Y君とはまだ当時そんなにも親しくもなかった。さらに一歳年上の母の従弟Hちゃんと一緒に時間をつぶすことが多かったのに、なぜかあの三連休は私は自宅に居続けていたのである。
後になってある程度世の中が判ってくるようになって
「あれが母子家庭の、悲哀だったのだろう。」
と、私なりに気付くことになる。多分高校生になっていたろうか・・・。
同情を買うつもりで書くわけではないが、私には幼少時の黄金週間の楽しい思い出が無い。つまり母子家庭の寂しさを、母は私に感じさせなかったというべきかも知れないのである。あるいは私自身、生来の能天気だったのかもしれないが・・。
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posted by zen at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時の話題