2022年06月23日

小学五年の夏 5

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私は、大阪府南部に位置する貝塚市で生まれ育った。
貝塚市とは言っても市の東端に位置する、和泉山脈の支脈に近い小さな村・里山である。それこそ石を投げれば、村はずれのから始まる林にとどきそうなほどであった。そんな生まれ故郷から大阪市には、水間電車と南海電車を乗り継いで、一時間余りで行ける距離で、今日でも大阪市内に勤務して通っている人も少なくはない。
母は、夏休みと冬休みには、私を連れて大阪市内に出向き盆暮れの買い物をするのだが、まず四ツ橋にあった電気科学館に私を連れて行って、二三時間遊ばせてくれた。三年生になってからは、同い年の従姉も同行するようになり、心斎橋の大丸での母の買い物の間は、二人で展示物を観たりプラネタリウムでその日の星空を見て楽しんだ。子供の頃の母と一緒に出かけた思い出の、それもあまり多くはない思い出なのだが、ただ母の入院を期に、そんな習慣が全くなくなってしまった。そんな甘えん坊の私の思い出にとってかわったのは、おばぁさに連れられ、教えられての畑作業の手伝いや、夏草抜きの毎日で、それが小学五年の夏から始まった。甘やかされて育てられていた私にとっては、とんでもない生活一変ながら、この歳73になって思うのは
「子供ってのは、意外と環境に順応できるもんなんだ!」
ということである。私にとって運がよかったのは、私にはまだ反抗期が始まっておらず、おばぁさんが怖くて、言われるとおりに従ったことだろう。ご近所のお母さん方が
「善ちゃんは、お母さんがいないのに、おばあさんの言うことはいはい聞いてえらいなぁ。」
と誉め言葉をくださっても、私にはおばぁさんに反抗することなど、考えすらしなかった。
ついでにいうと、高校生になった頃には、おばあさんと衝突するようになったけれど、それは高校生の狡さが働いての反抗で、いずれ話す機会もあるだろうと思う。
さて小学五年の夏休み、一変した生活で日は過ぎてゆき、二三週間に一度伯母(母の姉が)、母を病院に見舞って報告にやって来た。伯母のおばあさんへの報告では、夏休み中の退院は難しく秋になってからだろうということであった。
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posted by zen at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白