2022年07月31日

SATREPS 20

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文月晦日
今書いているのは、2015年、2016年の話だから、7年も前の事である。
ともかく私にできたことといえば、日本にある僅かばかりの不動産、早く言えば親から受け継いだ田畑を処分して当座をしのぐしかなかった。とはいえ田畑は、一代で財を成した祖父の遺産を、祖母や母、それに親類の皆が守り続けてきたものだから、現時点での所有者は私ながら、
「私のものであって、私のものでない。」
といった理解を私は持っていた。いや今でもその気持ちは変わらない。
とはいえ、背に腹は代えられないのも事実で、止むを得ず1,000平米の土地を売ることにした。ご近所さんなどの口聞きもあり、比較的短期間に売買契約がまとまったのは、本当にありがたかった。それから発注してあったサーバーなどは、当面必要が無くなったと、無理やり納得してもらったが、汎用機だけに無理が通りやすかった。VHFのアンプも、取り敢えず一セット分だけ受け取って、もう一セットはしばらく待って貰えるよう、無理にお願いした。これは結構虫のいいお願いで、顰蹙ものだったが
「受注がなくなって、代金の目途がどうしてもつかない。必ず買い求めるから、ともかく半年程まって欲しい!」
と、10年来の担当者を泣き落としたのだった。
この騒動で、大阪大学で長年かけて気付き上げた私の信用は、全てとは言わないまでもかなりの部分で無くすことになったのは言うまでもない。
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2022年07月30日

SATREPS 19

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VHF装置2台分はもはや発注済みで、納期は近い。
占めて二千万円、納品されれば製造業者に払わねばならない。
「今更、あの話は流れたなんて、そんな阿呆な!」
と言いたいところだが、如何に楽天家の私でも冗談を言ってる余裕は消し飛んだ。
まずは、前社長の後を取り仕切っている,新社長のところに駆けつけた。
「マレーシアのプロジェクト、受注されなかったそうですね?」
「原油価格の下落で、あのプロジェクトはなくなったからねぇ。」
「何故それを言ってくれなかったんですか?」
「あれ誰も言ってなかった。担当者だった若い社員には聞いてないの?」
「私VHF装置二台分用意しているんですけど。」
「わが社は未だ発注していなかったよねぇ!?」
「あの若い担当者、毎月初めには『11月1日運転開始をして欲しい!』と言ってましたし、納期は受注後三か月はかかりますから、前倒しで作り始めたんです。」
「それは、河崎さんあなたの責任でしょう。そうそうあの担当者近日中に退社するよ。」

といった具合で、取り付く島もない。夢の実現が遠のくどころか、逆に抱えなくてもいい負債を抱えることになってしまったのである。
なお原油価格の下落でなくなったプロジェクトと聞かされていたけれど、プロジェクトそのものがなくなったのではなく、会社が受注できなかったというのが本当の所であったとは、後日知るところとなった。
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2022年07月29日

SATREPS 18

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シンガポールに戻った翌日、私は日本のマイケル君やVHF受信機の製造業者に連絡を取り、作業を加速するよう依頼した。11月1日運転開始は、現実には厳しいだろうが、その頃にはは設置作業が開始できるだろうとの目途はたちそうであった。マイケル君は、取り敢えず日本国内でVHF システムを稼働し、冬場には北陸で岐阜大の連中と一緒に観測をと計画していると伝えてきた。
ところが、10月の声を聞いて10日ほども経った頃からだったろうか、若い担当者を見かけることが少なくなった。私にしてみれば、工事に取り掛かるタイミングが少しでも遅れる方が有難いというのが本音で、たまに担当者を見かけたときには
「11月運転開始は難しい!」
とつたえ、
「近日中に指示を出すから、それまで待って・・・。」
といった会話を数度繰り返していた。
ところが11月になってもなんの支持もなく、さすがの楽天家の私も不安がつのり、現地で採用されたという日本人スタッフに尋ねた。
「あのプロジェクト、どうなったんですか?」
という私に、
「あぁ、あれは原油価格の急落で、流れたよ。」
という答え。
「なんも聞いてないですよ!」
と私が返すと、
「誰も言わなかったの?」
と、気の毒そうな顔をして
「あの若手の担当者も、会社を辞めるらしいよ。」
というではないか。
まさに青天の霹靂とはこのことかと大いにショックで、途方に暮れた。

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2022年07月28日

SATREPS 17

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私が製作を開始すべく腹を括ったのにはもう一つ分けがある。
その若い担当者が、
「9月の20日頃、クアラルンプールに皆で最後の説明に行きます。善さんには、雷放電監視装置と落雷可能性の事前情報について説明して頂きます。」
と告げ、受注してもらうための最後の儀式みたいなものだと自信たっぷりの言い放ったからでもある。
その頃には元の現地法人社長は、日本の本社の海外担当部長に栄転していたのだが、この説明会、儀式には参加するということも聞かされた。
二三度行った現地調査の結果、私は二台のVHF装置の設置が必要と考え、その旨説明していたので、石油会社から受注すれば、一息つけると確信していた。
若い担当者からは、日本に一時帰国し返って来た私に、
「11月1日が稼働開始ですよ。」
と、念を押したのは8月のお盆時期であった。
それから一か月はあっという間に過ぎ、元の現地法人社長も日本から一時帰国し、既に現地入りしているとのこと、私達一行は二台の車で陸路クアラルンプールに向かった。若い担当者は初めての大型プロジェクトの受注で大いに高揚気味であった。陸路とはいえ、時間距離にして大阪東京間より少し短い程度の長旅で、私達は午前5時前にはシンガポールを出発、クアラルンプールには昼の12時頃にようやく到着といった具合であった。「最後の説明会」は午後一杯をかけて行われ、夕方五時過ぎにはお開きとなった。若い担当者は、
「受注は直ぐです。今日の説明会も好評でしたし、なんと言いても先方の役員も、大いに気に入っているようです。」
と大喜びで、私も大いに気をよくしてシンガポールに戻った。
「11月1日、運転開始を守って下さいよ。」
と、担当者はシンガポールに戻っての別れ際に、また念を押していた。
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2022年07月27日

SATREPS 16

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同じ頃、アメリカ人のポスドクが日本にやって来た。愛弟子のA君が、二年間滞在したニューメキシコですっかり干渉計の信奉者になったマイケル君である。
マイケル君とは二年契約で、年俸は600万円。
「大会社の協力を得て、シンガポールでベンチャービジネスを!」
のあてが外れたとは言っても、二年間は石にかじりついてもポスドクで来日する彼を、何とかする責任があった。
まぁ、その苦労話は別の機会にとして、一方マレーシアの製油工場建設地への、雷放電活動監視装置売込みの話である。
営業の若い担当者はえらく乗り気で
「契約が成立すれば、11月1日に稼働できますか?」
という。私は
「受注したとして、本当は半年欲しいところやけど、間に合わせるようにするから。」
と返し、
「だから一日でも早く発注書が欲しい。」
と念を押すことは忘れなかった。そしてL女史の車で、二三度現地調査に出向いた。建設予定地はシンガポールの対岸で、目と鼻の先といった感じであった。
その後も若い担当者は
11月1日運開可能か?」
の質問を、月が新しくなるたびに繰り返した。そして7月になって発注書ではありませんが、購入希望書(letter of intention )が出ましたと私に告げ、
「絶対11月1日には間に合わせてくださいよ!」
と念を押す有様であった。そして私もようやく製作を開始することにした。
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2022年07月26日

SATREPS 15

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2014年暮れの、日本風にいうたら忘年会やったやろうか、現地法人社長の仲介で、Wさんというか日本の本社というかとは、手打ちとなった。手打ちちゅうても、私が納得したんと違うて、
「現地法人の会社として、積極的に販売努力をして、観測網の実現に協力する。親会社の方針転換を、部外者である河崎にあの時点で明らかにできなかったのは、止むを得なかったとはいえ、申し訳なく思っている。」
ちゅう、はなはだ「はかない」協力を含めた説明やったけど、私が鉾を収めへんでいたら、非生産的な交渉だけでは、なんも進めへんからな。
それに現地法人の社長から
「来年4月から、マレーシア南部の石油精製工場の建設が計画されており、そのプロジェクトに、河崎の雷放電監視装置も併せて提案するから、期待して欲しい!」
と、前向きな説得を受け、これには少なからぬ期待が持てそうだったからでもある。
こんな風に書くと、私がシンガポールで交渉だけしてたように思えるかもしれないが、この間現地法人の技術営業と、ブルネイ、フィリピン、インドネシア等々の顧客を訪問して、雷放電や地球温暖化の啓発的講演をして回っていたんや。この講演旅行は、私なりに東南アジアの雷害対策の現状を知る良い機会となったのは事実である。
ともかく2015年4月、担当の若者から
「河崎、マレーシアの会社と契約ができた。喜べ!」
と言われたので、大喜びしたところ、
「防雷システム設計用の、調査依頼の契約」
ということで、この時点では夢の実現はまだまだ先といったところであったろう。
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2022年07月25日

SATREPS 14

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「科学的、技術的な観点から、機能検証のできていない装置の販売に関しての警告を、電気関連学会の重鎮が出したようだ。」
というのが、ちょっとショッキングな情報の内容であった。そしてそのことと関連して、日本の本社の方針が大きく変わった様だというのだが、私にとってはまさに寝耳に水であった。
ただ会社の方針が変わろうが変わるまいが、私にしてみれば成し遂げたいことは
「雷放電の観測網を実現する。」
事にあるのだから、営業方針にあれこれ口をはさむ気も、アドバイスする気もないことは当然である。ただ同じ頃、日本では大手企業のデータ改竄が話題となっており、学者仲間としては、同様の問題として放っておけないと考えたのに違いない。
さて私の懸案事項である。
「何故私の赴任前に、会社としての方針転換を、伝えてくれなかったのか?」
という問いには、いつまでたっても
「申し訳ありません。」
という回答だけで、一向に拉致のあく気配はなかった。
まぁおかげさまでというべきだろうが、議事録だけはどんどんたまった。
それにしても大企業で「偉くなる人」ちゅうのんは、厚顔というべきかな。こうでもなければ、なかなかえらくなれへんのかも知れへん。大学定年してきた爺には正直に対応せんでもええと,鼻でくくってるようなもんや。まぁ爺も64年生きてきてるんで、会社の都合でという意味は理解できるけど、一方では不誠実に過ぎるやろうちゅう気持ちがぬぐえへんかったんや。翌年の夏頃までおんなじことの繰り返しが続いたけど、現実問題としてアメリカ人のポスドクを4月から雇わなならんので、爺の苦労が始まったんや。
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2022年07月24日

SATREPS 13

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その後おおよそ一年にわたって、Wさんとの話し合いが続いた。一年にわたってと言っても、一か月に一回程度、彼がシンガポールに来るたびにであったが。そのうち一度は、大阪の新阪急ホテルのロビーで、Wさんの上司にあたる工場長のTさんも参加されたことがあった。話の要点は、
1. 元の事業部長が、私を誘われたことの真意
2. 当時の大阪大学担当の二人が、ある程度の資本金を出すからベンチャーを立ち上げようといったことの再確認。
3. この提案に関しては、大阪大学側の副学長も確認している事。
4. 会社の方針転換は止むを得ないとして、それならなぜ私の赴任前に、そのことを知らせなかったのか。
と、極めて明快。ただ話し合いをしたら、Wさんは
「会社に持って帰って、次回シンガポールに来る時に回答を持参します。」
と仰るのだが、答えは

「会社の方針転換で、シンガポールでの事業展開を共同で実施することはできません。」
といった、質問の答えにならない回答であった。私は
「こんな話し合いだけでは、前に進まないから、きちんと議事録を残しましょう。」
と提案し、その年の暮れには、最初の議事録が電子メールで送られてきた。ただ相変わらず質問の内容には直接答えず、
「会社の方針転換で・・。」
という、要領を得ない回答であった。私からは
「こんなものは議事録にならない。少なくとも1〜3に関しては、事実確認を4番目に関しては、なぜ私の赴任前に知らせなかったのかを明らかにして欲しい。」
と返した。そして1〜3に関しては、赤い字でハイライトして、私の言い分は認めるとあったが、4に関しては依然として何故に対しての答えはなく、
「会社の方針転換ですから、ご了解いただきたい。」
と、記されていただけであった。
そしてその頃、日本の雷放電の研究者仲間から、ちょっとショッキングな情報が届いた。

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posted by zen at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張

2022年07月23日

SATREPS 12

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私自身を学者馬鹿としか呼べないとでもいうべきだろうが、それでも会社を起こしませんかと声をかけたのは、決して私からではない。それに大阪大学副学長の前で、
「弊社からなら、五億円でも、六億円でも!」
とまで大言壮語したのは、二人の担当者だった筈。
だからこそ、還暦を過ぎた身で決断して、二度目の人生をシンガポールでとやって来たのである。それを
「わが社の体制が、八月に代わりましたから。」
とは何たる不誠実。
私がやって来たのは9月だから、それなら体制が変わった時点で、そのことを正直に私に告げて、
「応援は難しくなる。」
と報告してもらっていたら、私にも考え直す余裕があったと、忸怩たる思いであった。
現地法人の社長は
「何か契約書か、合意文書でもあるのか?」
と尋ねてくれたけれど、そんなところまでは知恵が回っておらず、甘い言葉に誘われてイケイケでやって来たというのが本当の所なのであった。それに翌年度からは、アメリカ人のM 君をポスドクで雇うことが決まっていたこともあり、大いに前途多難を実感させた。
現地法人社長が
「河崎の夢は? シンガポールで金もう受けをして、いい車を買いたいのっか?」
と尋ねたとき
「私達の作った、雷観測装置を東南アジアのこの地域で稼働して、みんなの役に立つこと。」
と答えた。その夢の実現が、このままではできそうにないと、思案を巡らせたのであった。
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2022年07月22日

SATREPS 11

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新しい週を迎えても返事がないので、Eさんにどうなっているのかと尋ねたら、
「社長には返事しておいたけどね・・・。」
と返してきて、
「ただ日本の本社で、先生のお弟子さんが作ると言ってるので、こちらではその結果を見てからというのが現時点での結論です。」
と付け加えた。
「ということはSさんには、作らせないということですか?」
と私が強く尋ねると
「両方で作っても無駄でしょう。」
と、取りつく島が無かった。
Sさんにそのことを告げると、
「私から社長に直接言ってみる。是非作りたいし、雷の観測も実現したいから。」
と前向きな答えで、私は事態の好転を心待ちしたが、前向きな答えは結局やってはこなかった。
そうこうするうち、月に一度はやって来るというWさんがシンガポールにやってきた。
私にしてみれば満を持してといった按配で、Wさんに時間を作ってくれるようお願いし、二三日後に、話し合う機会を持った。
私は事業部長の私に手伝えという申し出や、部長が大阪大学にやって来て副学長の前で提案されたことを時間をかけて話したうえで
「ベンチャービジネスを立ち上げようと仰ったのだから、数億円とは言わぬまでも、干渉計をより安定したシステムと作り上げるための、5千万円程度の出資をお願いできませんか。マッチングファンドとして阪大からも同額程度出資してもらえるでしょうから。」
と、申し上げた。
「この件は、日本に持って帰って相談してきますが、事業部長以下他の部署に代わる等して、方針転換されてますから。」
という、極めて否定的な答えであった。
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