翌日から私は、数年間は住むであろう住居を探し始めることにした。
日本有数の電気機器メーカーの子会社とはいえ、シンガポールの現地法人は総勢20名余りの小さな会社で、住宅探しは経理担当の女性が
「エイジェントに連絡しましたから、明日にでもビューイングに行きましょう。」
との事。そして
「一か月どの程度の予算ですか?」
と尋ねられたのには、
「おいおい、手伝えという要請で来てるのに、家賃は会社持ちではないんか?」
とも考えたけれど、
「まぁお願いしてある給料でなんとかやれるやろう!」
と、相も変らぬ能天気・気楽蜻蛉が私の背中を押していた。
実は前年の9月までの二年間、これはJICAの要請でアレキサンドリアに赴任した経験から、住宅や携帯電話は支給されるものと、思いこんでいたというのが本当の所であった。
早い話携帯電話は、アレキサンドリアに到着した当日に支給され
「急ぎの連絡はこれで。担当者の電話番号は登録してありますから。」
といった具合であったからでもある。だから住宅ビューインの予定を聞かされた後、私はごく自然な気持ちで、携帯電話はどうすればいいのかと尋ねたが、経理担当の女性は当惑気味に
「私にはわかりません。」
と答えたのである。
その日の夕方、人事担当の男性社員が契約書を持ってきて
「河崎と弊社の契約は二年契約で、その後二年ごとに見直します。内容を読んで、サインしてください。」
という。私にとってはこれまた初めての経験で、
「会社勤め、とりわけ海外の会社の場合こうなんだ。」
と考えながら、契約書に目を通した。給与は口約束では米ドルということだったのに、額面は同じ数値ながらシンガポールドルになっていた。
「シンガポールドルだと約束の3分の2になるので、話が違う!サインはできない。」
と答えると、
「本社からの指示です。私には書き換える権利はありません。」
と返って来た。ともかく契約書を読んでみたけれど、当然のように住宅や、電話に関しての記述のあるわけがなく
「携帯電話は支給されないのか?」
の問いには、個人負担との回答、にべもなかった。そして
「形だけでもサインして欲しい!でないと私が困る。」
との人事係の言葉に、私はついほだされて、
「それじゃぁ、サインはするけど、あれこれ細かい点で齟齬があるので、その点は覚えておいて欲しい。」
とサインしたのであった。
今になってみれば、というよりそれから僅か二年後に、私は地団駄踏むことになったのであった。

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