10月の初旬、弟子のU君やM君、それに兄弟弟子にあたるF君が中心になって、退職記念パーティーを開催してくれた。思いのほかの盛況で、名古屋から堀井先生も参加してくださった。なんといっても目玉は、アラバマからのヒューさんであったろうか。大阪大学に移って准教授だった頃の卒業生も、ほとんど参加してくれていたのには大いに感激した。記憶に間違いが無ければ、今も懇意にしている「かっちゃん」も参加してくれていた。ただ少し残念だったのは、まいど衛星で一緒に苦労した青木さんがいらっしゃらず、御子息が代理で来てくださっていた点であったろうか.
それにシンガポールで
「参加させてもらいます。」
と仰ってくださった、本社の部長さんとUさんが約束通り出席してくださっていた。そのほか名古屋大学当時の仲間達も沢山参加してくれていて、パーティーは大いに盛り上がった。そのパーティーのお開きが近づいたころ、本社からの二名が近寄って来られ、
「我々二人は、これから茨城県まで帰らなくてはなりませんので、少し早いのですが失礼します。話は変わりますが、我々側の体制が8月にすっかり変わり、私達二人はあまりお手伝いできなくなります。シンガポールで紹介したWさんがシンガポール担当ですので、よろしく。」
と念を押されて帰って行かれた。
パーティがお開きとなり、皆三々五々帰っていた。その後20人ほどが未だ残っており、ホテルのレストランで今度は私が主催になって、二次会と相成った。その二次会も11時を過ぎる頃にはお開きとなったのでは、無かったろうか。
ともかく翌週早く、私はシンガポールに戻った。
そしてとりあえず、LFシステムの製作をと考え、マレーシア人のS女史に受信機の回路や、AD変換器の仕様を教え始めた。

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