2014年暮れの、日本風にいうたら忘年会やったやろうか、現地法人社長の仲介で、Wさんというか日本の本社というかとは、手打ちとなった。手打ちちゅうても、私が納得したんと違うて、
「現地法人の会社として、積極的に販売努力をして、観測網の実現に協力する。親会社の方針転換を、部外者である河崎にあの時点で明らかにできなかったのは、止むを得なかったとはいえ、申し訳なく思っている。」
ちゅう、はなはだ「はかない」協力を含めた説明やったけど、私が鉾を収めへんでいたら、非生産的な交渉だけでは、なんも進めへんからな。
それに現地法人の社長から
「来年4月から、マレーシア南部の石油精製工場の建設が計画されており、そのプロジェクトに、河崎の雷放電監視装置も併せて提案するから、期待して欲しい!」
と、前向きな説得を受け、これには少なからぬ期待が持てそうだったからでもある。
こんな風に書くと、私がシンガポールで交渉だけしてたように思えるかもしれないが、この間現地法人の技術営業と、ブルネイ、フィリピン、インドネシア等々の顧客を訪問して、雷放電や地球温暖化の啓発的講演をして回っていたんや。この講演旅行は、私なりに東南アジアの雷害対策の現状を知る良い機会となったのは事実である。
ともかく2015年4月、担当の若者から
「河崎、マレーシアの会社と契約ができた。喜べ!」
と言われたので、大喜びしたところ、
「防雷システム設計用の、調査依頼の契約」
ということで、この時点では夢の実現はまだまだ先といったところであったろう。

クリックして投票を!