「こんなに簡単に、将来を決めてええんやろか?」
と、自分自身で訝しく思えたほどであったが、ともかく走り出した。そしてその晩は久しぶりに友人のY君とも会い、ご無沙汰を詫び旧交を温め、翌朝大阪に戻った。それから三月の末日の定年退職までは、あわただしく過ぎたのであった。余談ながら、親友のY君とはこの日以降10年以上も会う機会がなく、今日に至っている。
再就職の先が決まっているとはいえ、退職の日の空虚感は、どう表現してよいかわからなかったというのが、正直なところであった。属していた研究室には、准教授のU君が在職していたとはいえ、意図的に顔を出さないよう、訪ねていかないよう心掛けた。とはいえ大会社の事業部長の命を受けた実務担当者が、月に一二度打ち合わせに来阪されるので、その際は工学研究科長室を利用させてもらった。
「いつから赴任?」
という、一番肝心な議論は
「今しばらく待ってほしい!」
と、二,三か月先延ばしとなり、それでも六月の声を聴くころには、
「九月から赴任してください。」
と指示が出た。さらに実務担当の部長さんから
「雷観測装置を販売する会社を立ち上げましょう。本社も億単位の出資ができますので。」
と夢のような話まで出てきて、シンガポール行きの夢が膨らむばかりであった。私がシンガポール行きを決意したのは、研究室で若者達と作り上げたVHF干渉計と、若者達だけで作り上げたLF帯の観測装置を、東南アジア一帯に敷設、稼働したいというところにあったからである。
私はこれらを
「Ultimate Lightning channel imager!」
と呼んだのだが、仲のいい筈のHughさんはこの命名にえらく不機嫌で退官記念祝賀会に参加してくれた折
「Sophisticated かもしれないがUltimateではない!」
と、コメントを忘れなかった。

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