2022年10月11日

英語で寝言 2

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英語でコミュニケーションできないのは、日本人だけではない。
考えようによっては、シンガポール人だって怪しいものである。このように書くとシンガポールの友人に叱られそうだが、九年以上この地にいて、しみじみそのように考えることも少なくない。
実は昨日、友人から三週間ばかり預かっているプードルを獣医に連れて行った時のことである。この獣医さん、腕が良いのか結構な繁盛で、予約制なのである。だから昼前に電話をして午後二時に予約しておいて。その際
「今日連れて行くのは、私どもの犬ではありません。知り合いから預かっている犬でしてKikiといいます。」
と明言しておいたのだが、時間が来て呼び出されたのは
「河崎さん。アリスですか、シロですか?」
といった具合。
「いいえKikiです。電話した折そのように伝えたのですが。」
と返したら、獣医さんは要領を得ない感じで、早い話受付の看護師さんからうまく情報が伝わっていなかったようだ。看護師さんが私の言ったことを理解していなかったのか、獣医さんが看護師さんの話をきちんと聞かなかったのか、そこまで確かめはしなかったけれど、まぁかくのごとくなのである。この手の行き違いは日常茶飯事で、二時半の待ち合わせと聞いたつもりが二時間半後の待ち合わせだったこともある。
それから何日か前にも書いたのだが、会議で肝要なのはお互いの発言の積集合であるのに、どうもわが同胞は、和集合を合意と理解してしまうきらいがある。つまり英語という言葉の理解力が悪いのではなく、まぁ理解できていない面も否定はしないが、議論をして合意するというという手続きの理解がないのではなかろうか、というのが私の理解なのである。そしてアジア人には、われわれ日本人と似た傾向があるように思えてならないのだが、これは私だけの理解なのだろうか?
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2022年10月10日

英語で寝言

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本来なら今日は、1964年東京オリンピックの開催された日で、1964年の東京オリンピック以降長く休日だった休日。ただ今日は、例のハッピーマンデーで、日本は偶然休日となり、土日月の三連休。
秋深し

さて今日は話題を変えたい。
数日前、あるテレビ番組で人気タレントさん達の座談会を見た。
中学生だか高校生だかのお子さんを、米国に留学させているらしい。
留学させていらっしゃる目的は、しかとはわからない。人気ある芸人さんだけに経済的にも余裕があって、昨今日本が志向しようとしている国際性に不可欠な英語会話力の必要性もあって、米国留学を選択されたのだろう。座談会の中で
「夏休みで帰ってきたら二三週間は、寝言を英語で言ってます。」
と、母上がおっしゃれば、アナウンサーさんが
「すごいですね!」
と感心の言葉、間髪を入れずおっしゃる。天邪鬼爺は何がすごいのかと鼻白む。英語が母国語の国なら、赤ちゃんだって寝言は英語だろう。
我が国日本、島国であることや日本語という母国語の特殊性ゆえ、外国語の習得は不得手と考えられてきた。実際、中学校、高等学校と六年間習っても、英会話のできないものが多数を占める。そしてこれはいけないと文部省が、英語教育を小学中学年あたりから始めるようカリキュラムを組み替え、すでに施行され始めている。こうなると、経済力のある親御さん「英語を母国語とする国で、教育を。」
と短絡的に、独自の解を実行するのだろう。
ただと私は思う。
日本人が英語で話せないのは、語学に関しての国際性がないからではなく、ほかにも理由があるからだと信じている。そしてこの続きは明日に、述べたい。
(この項続く)
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2022年10月09日

東南アジアに雷観測装置を 12

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折に触れ、シンガポールでの失敗の話は披露してきている。
私自身が、自然科学を生業とするものとして優秀だったか否かはともかく、シンガポールでは学者馬鹿の積み重ねだったと、自戒している。自戒しながらも積み重ねているのだから、始末が悪い。そのうちの一つを披露したい。
シンガポールに来て丸二年たった九月のことである。人事係から呼び出され
「二年たったので、契約を更改したい。親会社の当初の契約では、二年間の赴任という事だったが、河崎はこの国にまだいるつもりだろう?」
というのである。
「お互いに過去に戻って議論しないという事だったから、私は何も言わなかったし、装置を販売して、製品化のための堅牢化を目指しているのだから、当然変える気はない。」
と答えると、新たな契約書にサインしろという。それに給料分はローンという事にするので、その書類にもサインをというではないか。
「それでは話がまるで違う!」
と、反論すると
「日本の親会社に説明するための、形式的なサインだ。我々はいきさつを知っているし、便宜を図るから。あくまでも形式的な書類だ。」
という。それなら信用してもいいかとサインをしたのだが、その時の責任者は二年のうちに会社を辞め、サインをした書類が証拠書類として残ることになったのである。
それでも私の心のどこかに
「シンガポール人は、最初からだますつもりはなかったのだろう。結果として親会社の、言うがままにしかなれなかったのだろう。」
と、かすかに期待している自分自身を感じている。
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2022年10月08日

東南アジアに雷観測装置を 11

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依然として2013年の11月である。
下旬にやってきたのはWさんだけで、結局のところ
「『雷放電監視装置の販売ビジネスは断念!』は大親会社の方針だから、事業部ではいかんともし難い。」
という結論と、
「『方針の決定を先生の赴任前に知らせなかったのは、担当者のうっかりミス。』で、この件は申し訳ない。」
といった、人を食った回答だった。
さらにその翌月やってきた新事業部長にも再度直訴して、あれこれ申し上げたが、結局のところ大企業のごり押しに押し切られるだけで、話は一つも進展しなかったのである。
そして年末のクリスマス会で、アンドリューさんの仲介で、私とWさんは握手しての手打ちとなった。アンドリューさんの仲介案は
「現時点での大阪大学の両システムを、積極的に販売するよう努力し、利益を出して堅牢化しよう。だから過去のことは、お互いに忘れて前に進もう。」
とこれまた、都合の良い仲介案ながら、私自身も
「粘ったところで、どうにもならない。装置を販売するよう努力するというのだから、それにかけよう!」
と、考えなおしたからであった。
そして年が新たになった頃アンドリューさんは、シンガポールのこの会社のCEOを他の者に譲り、東京の大親会社の海外事業部に栄転していった。
そしてその後、私はますます苦しい立場に追い込まれていくのだが、その時点ではシンガポールの会社として、積極的に販売に励むという姿勢に、私は夢を託していたのだから、能天気もいいところだったという事になろうか。
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2022年10月07日

東南アジアに雷観測装置を 10

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T工場長もWさんも、ここに至っては大いに拙いと思ったのか、これ以降は
「私達は、勤め人ですから!」
を繰り返すだけとなり、私の言い分を聞いてメモすることに専念、議論をかみ合わせないようにするだけだった。そして最後に
「おっしゃることは、とりあえず記録に残しました。会社に持って帰り上司に伝えます。そして次回のシンガポール訪問の際に、回答をもって参上します。裁判に訴える気は、ないですよねぇ?」
と、締めくくった。
これでは全く急ぎ帰国した甲斐もなく、
「なぜ決定者会社の方針転換を、赴任前の私に伝えなかったのか、この点に関しては誠意ある回答をお願いします。」
と、私はもう一度繰り返しておいた。
そして予期されたことではあったか、一か月後の回答は
「会社の方針ですから。」
「私達も、勤め人ですから上司の命令には逆らえません。」

これら以外には、実のある言葉は伝えられなかった。
「お二人は、高い航空運賃払って、子供の使い以下ですね。」
と、私なりに精いっぱいの嫌味を返したけれど、二人は起こるわけでもなくしらっとしているだけであった。そして最後に
「来月12月には、新事業部長がやってきて説明するそうです。私たち勤め人では、先生の質問には答えられませんから。」
と結んだ。
この会合に同席したアンドリューさんが最後に
「河崎、訴えることはしないよなぁ?」
と。念を押した。私は、その気のない旨の返事をして、二人は日本に帰っていった。
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2022年10月06日

東南アジアに雷観測装置を 9

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実は強制的に配置替えとなった担当二人から、日本に立つ直前に電話があり以下の内容を聞かされていた。
1. 大親会社の方針変更は8月初旬急に通知された。(彼らにとってという意味で。)
2. その関係で事業部長も、突然変更となったし、私達も同様。
3. 気象庁のシステムリプレイスに応札しようとしたが、現時点では無理と判断した。
4. 上記の準備もあって、システムデザインにA/D変換機の購入を打診したらしい。
いやはや、大会社のわがままというか、エゴというか。
だから新阪急ホテルロビーでの会合は、ある意味波乱含みの展開となった。
私はまず、
「聞くところによれば、御社の方針変更、雷監視装置販売ビジネスからの撤退は、8月初旬だったとか。という事は私のシンガポール赴任前。もし知らされていたら、私もシンガポールに来ることはなかった筈です。最悪、販売ビジネスを展開しようという、大それた考えは捨てて来たと思います。この件に関して、御社の誠実な回答をいただけますか。」
と、ただした。T工場長とWさんは異口同音に
「私は、雇われの身ですから、上層部の決定には逆らえません。」
と答えるのみで、これでは私の質問の答にはなっていない。
「元の事業部長も配置換えだと聞きましたが、少なくともこの件で彼から御意見をいただきたい。お二人が答えられないというのなら、次回の会合には会社の見解を、その時点でなぜ私に知らせなかったのかを!」
の質問には
「先生も退職され生活設計もあるでしょうから、とりあえずシンガポールで働いて頂いてと、元事業部長は尽力されたと聞いています。そして二年間の確約は取り付けられたようです。」
と、答えられた。
「二年間!それも約束が違いますよ。私の70歳までの7年間で、販売事業を軌道に乗せてと、夢のような話をしてくれたのですから。この件は、後日また議論するとして、次はA/D変換機のことです。あれは文部科学省の科学研究補助金で開発コストを払っており、知財権は我々大阪大学のスタッフにあります。それを失礼な言い方ながら、泥棒猫のようにこっそり発注しようとしたのは、許せないですね。私に言って頂いてたら、お断りはしなかったと思いますが。これでは紳士協定違反です。」
という詰問には
「だから、気象庁や防災科研の受注は断念したのです。」
「ちょっと待ちいな。そんなん答えになってないやんか。もしシステムデザインが黙って売り渡してたら、そのままやってるちゅうんかいな!」

と、ここに至って私は大阪弁でまくし立てたのである。
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2022年10月05日

東南アジアに雷観測装置を 8

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自分史から:親友のY君との出会いは、貝塚の祭りの日の前日(10月4日)確か1958年やから、今日で丸々の64年や!

工場長のTさんとW さんが帰国して一週間もたたない頃に、システムデザイン社から国際電話が入った。ちなみにそのシステムデザイン社は、現在はもう閉業しているのだが・・・。
「電力機器の最大手の◎○社が、大阪大学の先生の研究室に依頼されて開発した特注のA/D変換機、購入したいというんです。先生と弊社の契約もあり、ご意見を伺いたいので連絡しました。」
「連絡くれて助かった。もうけさせへんで悪いけど、ともかく売らんといてや。あの会社とは話がややこしなってんで、確認してから連絡するよって、ともかく発注に応えたらあかんで!」
と返事をしておいて、私は日本に帰っていたWさんに、急ぎ電話をした。
「今システムデザイン社から電話が入って、御社が私たちの開発したA/D変換機を発注したいと言って来たというんです。まだ結論は出ていないとはいえ、先日の話では雷観測装置のビジネスから手を引くという事でしたのに、ずいぶんと矛盾した話ですね。本当のところどうなんでしょう?」
Wさんは、
「弊社のどの部署の注文かは、私には分かりませんが、先日申し上げたことはほぼ決定ですから、注文するはずがありませんよ。」
と、小馬鹿にしたような答えである。
「発注者の名前も聞いてますし、目的も聞いてますよ。まぁともかく、先日の件で急ぎ一時帰国しますから、日本でもう一度会ってください。」
と、私は電話を切った。
次の日私は関空に飛び、その翌日大阪梅田の新阪急ホテルで、T工場長とWさんと面談した。私自身。腹をくくっての面談となったのは言うまでもない。
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2022年10月04日

東南アジアに雷観測装置を 7

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今からおおよそ9年も昔のことを、思い出している。
2013年11月、親会社からT工場長とシンガポール担当のWさんがやってきた。深夜便で来られたという事だったが、その疲れも見せられもせず午前中の会合となった。親会社のT工場長とWさん、そして私の三人の会合で、私はアンドリューさんにもオブザーバー参加をとお願いしたけれど、
「微妙なニュアンスもあり、日本語の会議としたい。だから日本人だけで!」
と、Wさんが主張された。
ただ会合は、私に主張をさせるだけさせて、最後には本社の結論を淡々と述べるだけで、微妙なニュアンスなんぞ一つもなかった。親会社の結論は
「シンガポールにおける、雷観測装置の製造販売には出資しない。製造販売の事業は断念する。」
と、極めて単純明朗な回答であった。
「事業部長のEさんと話させてくださいよ。私人生かけてシンガポールに来てるんですから。」
という私の要求には、
「あぁ、元の事業部長ですか。大本社の方針転換で、配置換えになりました。」
とのつれない返事である。そして、
「今まで大阪大学の担当をさせていただいていた、UやTも先月末付で、移動になりました。」
と付け加えられた。
「御社をお助けして提供した監視装置、シンガポールで四台稼働していると思いますが。」
の私の問いには
「年度内いっぱいで、研究を終了して撤去します。」
との答え、
「しばらく稼働していただけませんか?」
の重ねての問いかけには
「あれは試験研究という位置づけで、終わると廃棄処分にしなければ、税金がかかりますので・・。」
との事。
「いずれにしても、今日の話し合いは持ち帰り、来月には結論を出させてもらいます。」
と、一方的な態度であった。
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2022年10月03日

東南アジアに雷観測装置を 6

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Wさんが帰国されて、一週間ほどたった頃、アンドリューさんから呼び出され、
「投資の話は、だめとの事。来月Wさんがシンガポールに来て詳しく説明するらしい。」
と伝えられた。私にしてみれば、それこそ青天の霹靂で、
「もう一度交渉してみますよ。アンドリューさんも、応援してください。装置を販売するという目論見が、根底から崩れますし・・・。」
と、懇願する以外に策は思いつかなかった。ただその月10月の下旬に、退官祝賀のパーティーが予定されており、再度一時帰国することになっていた。だからその際本社に行って交渉でもするかなんぞと、まだ気楽に考えている私自身もいた。ところが一時帰国の直前になって、Wさんから電話があり、
「来月工場長と二人でシンガポールに伺います。それから先生の退官記念祝賀会には、UとTの二名を出席させていただきます。」
と、告げられた。実際大阪のロイヤルホテルで開催した祝賀会には、UさんTさんの二人が参加して下さり
「私達二人は職場が移動し、雷関係から離れます。これは極秘情報ですが、事業部長も移動するらしいです。」
と、大いに驚かされる内容を告げられた。
事業部長は一年前に、私をリクルートした張本人だから、この人がどこかに移るようだと、話は根底から崩れるのではないかと、不安が募るばかりであった。
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2022年10月02日

東南アジアに雷観測装置を 5

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家探しは、最初の数日はあまり旨くいかなかった。
斡旋業者が、シンガポールの街の中心部にあるマンションを、紹介してきたからである。早い話、価格の面ではなく会社への通勤時間であった。その点を告げると、通勤時間徒歩、バス含めて30分余りのマンションを持ってきた。パシリスというMRT・東西線の東側ターミナルまで歩いて10分余りという物件、築二年目ということで間取りも申し分なかった。二週間余りのホテル住まいを終え、そのころには就労ビザも取れていたので、一時帰国し本格赴任することにした。
アンドリューさんからは、懸案の投資の話の回答が親会社からあった旨の返事もあり、
「10月初旬に、Wさんという担当者がシンガポールに来られますから、本格赴任される頃に、話し合えると思います。」
とのことであった。私は10月になっての担当者との面談に期待して、大阪に帰った。
そして10月、シンガポールに戻って数日して、Wさんがシンガポールに来られた。二三日して、ようやく時間ができたからと、私達二人は話し合うことができた。私はアンドリューさんに何度か告げた内容
「販売するには、販売に耐える製品、ロバストな製品にする必要があり、Uさんのおっしゃった数億円はともかく、5千万円程度の出資をお願いしたい。大学からもマッチングファンドが出ますから。この話は工学部長も納得済みです。」
を、この担当者Wさんにも繰り返した。ただWさんは私の話を聞くばかりで、親会社としてどういう方針で臨むのかを、一向におっしゃらなかった。当然結論は出ず
「本社に持って帰り、来月来るときに返事を持ってきます。」
とのことであった。私は、
「議事録もお願いしますよ。」
と、付け加えたが、結果的にはこの議事録を残すようにしたのが、よかったのだろうと今となっては理解している。
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