2022年11月14日

翻訳は誤解すること 2

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もう一つの例を付け加えることを忘れていた。
それは第二次の湾岸戦争の折だったと思う。
アメリカ合衆国大統領が、我が国の首相に
「合衆国の兵隊が、世界平和のために血を流している。日本も出すべきでは!」
と詰め寄り、我が国首相が、
「それはDifficult!だ!(難しいですね!)」
と応じたときのことである。
アメリカ人の多くは、
「難しいのは分かっている。でもその難しさを解決し、出兵して協力すべきだろう。」
と考えたという。ただ日本語で、
「それは難しいですね。」
と応じることは、
「不可能です。」
という意味だという事を、われわれ日本人は理解しており、大統領の要請をやんわりと断ったと、判断するのである。
まぁこんな風に思案を巡らせば、こういった話は翻訳に限ることでもなく、一つの言語による会話だって起こりうる。その例が
「Don't you mind if I join the meeting?」
であろうか?
つまるところ、他の人との意思の疎通の難しさという事になろうか?
たわいない日常会話なら、たとえ誤解があったとしても大問題になることは少なかろうが、ビジネスの場合、国対国の場合はそうはいかない。
一般論ながら、日本語の場合主語を省いての会話が多い。いや書き言葉だって、往々にして主語の省かれることがある。これが英語の場合、話し言葉はともかく、書き言葉の場合、まずもって主語の省かれることがないだろう。ただ「翻訳による誤解」はそんなところにあるのではなく、他人との意思疎通の在り方を、われわれが理解していないからというのが、天邪鬼爺の主張なのである。(この稿続く)
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posted by zen at 12:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張