2022年12月31日

雷放電の観測 29

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大晦日
雷放電の観測と言えば、もう一つ忘れてならないのは宇宙からの観測。宇宙といても地上400q程度で、宇宙ステーションの高度と同程度であるが。そんな宇宙からの観測に関わるようになったのは、1996年大阪で開催して国際大気電気学会(ICAE)の場で、アラバマのHughさんから
「来年末にTRMM(熱帯降雨観測衛星)という人工衛星を上げる。主たる目的は赤道帯の降水を衛星搭載のレーダーで観測するのだが、我々大気電気コミュニティーのLIS(Lightning Imaging Sensor)も搭載される。TRMM衛星は日米の共同、NASAとNASDA(今日のJAXA)の共同なんだから、河崎は日本側のLIS担当として協力しないか?」
と誘われた。
私は早速NASDAに交渉したが、新参者にはハードルが高く、なかなか参加できそうな雰囲気ではなかった。例えばNASDAの担当者からは、
「気象学コミュニティの賛同がないと、我々としては認める権利がないから。」
とのつれない返事であった。
雷放電は気象の一要素ながら(少なくとも私はそう理解していたけれど)、気象学コミュニティでは、研究対象としては重要視していなかったのかも知れない。ただ私は1990年代の初め頃から気象学会で発表したり、IAMAS(International Association of Meteorology and Atmospheric Sciences)に参加したりしており、どれかの会議で親しくして頂いた東京大学気候システム研究センターの新田勍教授(故人)を存じ上げていた。それで駒場の研究室に押しかけて直訴申し上げたら
「工学部の方がねぇ!わかりましたNASDAのTRMM担当者に声をかけておきましょう!」
と、えらくウエルカムであった。そして次のTRMMの国内の準備会議には参加するようにと、NASDAから連絡を頂いた。早い話押しかけながら、TRMM/LISの日本側PIとして関わるようになったのである。
なおTRMMは種子島から1987年11月28日に打ち上げられ、その十日ほど後の12月8日に新田教授は不帰の客となられ、TRMMに参加させて頂いたのに成果をお見せすることが出来なかったのは、四半世紀を経た今日でも、口惜しい思いである。
(この稿続く)
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2022年12月30日

雷放電の観測 28

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古い話、半世紀近い昔のことながら、私は電磁波の散乱に関する解析法で博士の学位(大阪大学)を得た。その頃私が所属していた研究室では、光ファイバーを伝搬する信号の電磁界解析が盛んに行われていた。当時通信工学の分野で、光ファイバーが実用化されるようになり、研究室を上げての研究であったと理解している。そんな中私は少し違った角度で問題を捉え、導波路の不連続問題を研究していたのであった。
その後空電研究所で助手の席を得て雷放電の研究に関わるようになり、最初に取り上げたのが、
「帰還雷撃電流パルスの放電路に沿っての伝搬」
に関しての光学観測結果で、偶然とはいえ幸運な出会いであったかもしれない。
というのも、あの当時帰還雷撃電流の速さを測るのに、ストリークカメラで写されたフィルムの光信号の先端の到達時間差から推定するばかり、それはそれで重要とはいえ、雷撃電流の作る電磁界を理論的に推定するには、先端速度よりも例えば群速度を用いねばと思案したのである。一方
「帰還雷撃電流に、群速度という概念が適用できるのか?」
とも考え、まずできることと言えば、対象の波形を周波数分解してみることだったのである。独りよがりかもしれぬが、こういった私の考え方は、雷放電を観測して理解しようとする研究者の多くには理解されず、或る意味理屈っぽいフランス人に受けたのは偶然ではなかったと今では理解している。
(この稿続く)
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2022年12月29日

雷放電の観測 27

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2022年寅年も、今日を入れて三日。ただこの国シンガポールにあっては、年の瀬の慌ただしさはない。それでも大晦日の31日にはいくつかの広場でカウントダウンがあり、海辺では12時真夜中を期して、打ち上げ花火がある。年の瀬の慌ただしさと気分高揚があっての打ち上げ花火は感激物だろうが、この国のこの不連続さ、私には何やら理解できない。

さて雷放電の観測である。
帰還雷撃の速度を測ることを目指した光学観測であったが、Jordan の示した帰還雷撃により放射される光パルスの強度、高さ方向の関数になっていることパルス波形の立ち上がりが、高いところほどなまっていそうな印象に、私は
「電磁パルスの伝搬の問題に似ているなぁ!」
と実感し、
「伝搬する媒質に分散性がなければ、鈍らないはずだから、この鈍り具合は放電路を形成しているプラズマによる分散なのか、あるいは細い放電路という構造による分散なのか?」
と思案した。そして二チャンネルながら、つまり低い位置と高い位置の光パルスのディジタル信号の形状比較を思い立った。形状比較と言っても、定量的にしようと思い立ち、FFT分解して周波数毎の速度(位相速度)を数値的に求めてみた。データそのものはロケット誘雷実験で観測したもので、観測結果は10例ほどあったろうか。そしてこの内容を1985年パリの静電気と雷放電の国際会議で発表、フランスのONERAグループからは大いに高い評価を頂いた。それが後々フィリップ氏との友情に発展していくのだが、アメリカのUman 一派からは、残念ながら評価されなかった。自信をもって投稿したJGRからも、あれこれ質問が来るばかりで、らちが明かず結局電気学会の英文誌に掲載されることになった。後になって中国からやって来たWD君が面白がってくれ、リーダーパルスの高さによる変化、帰還雷撃電流の変化などの研究を今でも続けている。彼のライフワークに近いと、私は理解しうれしく思っている。
(この稿続く)
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2022年12月28日

雷放電の観測 26

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日本では今日、御用納め。
でも現役教授時代は、29日はおろか30日も研究室に居ったものだ。一方名古屋大学の雷放電研究グループに在籍した当時は、観測場での年越しは、常識であった。
私にとっての生涯最初の雷放電観測場所での年越しは、ノルウェー西岸の小漁村セリエだったっけ。
それが大阪大学に移った頃から、若い学生さん達の生活スタイルというかあり様というかが、バブル期1980年代とすっかり変わってしまい、越年観測などとても頼めない雰囲気になってしまった。ただ思い出すのは、1996年か97年のこと、福井県三方郡美浜町での雷放電観測。暮れの29日には、観測小屋を無人にしてとりあえず帰省、それでも元旦に寒波がやってきたので、2日に車を駆って出かけて行ったら、当時修士二年だったNK君が前触れもなくひょっこりやってきた。お互い驚き、その夜は観測小屋で、結構遅くまで語り合った。そのNK君今は、国内の自動車メーカーで技術者として頑張っている筈である。オーストラリア・ダーウィンで、福井県三方郡美浜町で、雷放電研究の面白さをお教えしたつもりであったが、修士二年で就職されたので、いまさらながら「逃がした魚は?」の心境である。
さてマイケルさんのこと。
マイケルさんは、当初ニューメキシコ大学のLMAに関わっていたと聞くが、博士課程を終えてポスドクとして滞在したAM君の影響もあって、それに総帥のポールさんの指示もあっただろう、干渉計の観測を積極的に行っていたと聞く。それに昨日述べた、ニューメキシコ大学の新しい連続記録するAD変換器も装備して、私が長年期待していた雷放電の全過程を、AM君と一緒に、開始から終焉まで可視化することができるように仕上げた。二人の成果はそれぞれJGRの論文として採録され、私にとっての大いなる自慢でもある。同じころLotffyさんも観測を開始したが、地中海アレキサンドリアでの雷放電活動は、一冬一二回しかなく、成果はさらに一年後の北陸観測まで待たねばならなかった。
(この稿続く)
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2022年12月27日

雷放電の観測 25

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ニューメキシコ大学の総帥ポールさんと話したのは、2012年のAGU 秋季大会(12月於サンフランシスコ)だったろうか。
それ以前の2010年の4月からは、AM君は学術振興会の援助でニューメキシコに滞在し、VHF波帯広帯域干渉計の観測を行っていた。
きっかけはやはりポールさんの提案で
「干渉計とLMAの比較をしよう!」
と、我々も合意しての、共同観測、共同研究だった。
もともとは、我々の装置を干渉計とは認めず、Sophisticated TOA と呼んでいた筈なのに、その時2012年には、
「AD変換器も改良しているので、大阪大学の装置での観測を続けたい!」
と、風向きは変わっていた。私は JICAからの出張で、エジプト・アレキサンドリアに滞在中であり、博士課程学生を何人か指導していて、その一人のLotffyさんの研究用に、200MHz4チャンネルADの出力を15分間隙間なく連続記録できる装置を開発中であったこともあって、またまた
「人間考えることは、みな似てるなぁ。」
と、しみじみ考えたものである。
ただポールさんのその時の言いたかったのは
「大阪大学の解析の仕方は、時間がかかりすぎる。パルス毎の相互相関を求め、その最大値を与える時間差を採用すれば、もっと早く処理できる。」
という点で
「それは、インドネシアから来ていたRedyさんがすでに適用して確認済みだよ。」
という私の言葉には、反応しようとしなかった。私は
「時間差を求めることが主目的ではない。数値的に干渉させ、最適な解を求めることで、放電路が可視化できる!」
と繰り返したが、ポールさんは聞く耳を持たなかった。
いずれにしても、AM君がニューメキシコ滞在中の足掛け三年間に、ニューメキシコ大学のマイケルさんという干渉計の親派を作り、VHF波帯広帯域干渉計は、完成形を見るのであった。
(この稿続く)
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2022年12月26日

雷放電の観測 24

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昨日紹介した、フロリダ大学でのJordan との出会いは、本音でうれしかった。ただ1982年か83年ころ読んだ論文の第一著者で、私ははるかに年配の研究者を予想していたのに、私より若かったのには驚いた。彼曰く、
「以来フロリダ大学でUman教授と一緒に研究を続け、今はロケット誘雷に関わっている。」
と聞かされ、改めて関心した。
ロケット誘雷実験は、本来はフランスのグループが本格的に実施、それを名古屋大学のグループが受け継ぐ形で続けていた。それを1990年だったか1991年だったか、その頃は豊田高専に移っていらっしゃった堀井先生の肝いり、学術振興会の予算で「日米雷放電セミナー」を開催したのを機に、フロリダ大学のUman教授とRakov教授がフロリダ大学でもやり始め、成果も半端ではない。それゆえ今やすっかり、ロケット誘雷実験の世界的な意味でのリーダーと、称賛されるほどになっている。実際この実験に我が国からも、岐阜大学のWD君、中部大学のSSさん、電力中央研究所のSTさん(故人?)やMMさんなどが、フロリダ大学に長期滞在して参加している。ちなみにわが愛弟子のYS君も、その一人なのである。
こうやって、雷放電に関わっての40年を、つまみ食いする形で披露してきた。
ただ私がこの間、こだわってきたのは
「理解したいと思う現象に気づいたら、世の中にない装置を開発して観測し見極める。」
という一点である。この考えかたは、空電研究所に勤務して、大阪大学に移動するまでの10年間、研究所の諸先輩から教わって、その後信念に近くなっている。とりわけ、世の中にない装置は、自身で設計する必要があり、そういう意味で電気系学科で電気回路や電子回路を学んだことが、大きな武器となっていることは間違いない。かかる意味で、スローアンテナ、ファーストアンテナと呼ばれていた電界変化観測用のアンテナ系を、広帯域化しディジタル記録にしたこと、VHF波帯の広帯域干渉計を作り上げたことなどは、少しは誇らしく思ってもよいのではと、考えている。
(この稿続く)
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2022年12月25日

雷放電の観測 23

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クリスマス

私の四十年に及ぶ雷放電物理の研究をひとまとめにして言えば、雷放電の観測的研究という事になろうか。
そして今日は、光学的な研究をもう一度取り上げたい。
私がJGRの論文で、啓発されたのはGuo and Kriderのフォトダイオードによる雷放電の光学観測と、Uman 一派のJordanによるストリークカメラによる、帰還雷撃の光学観測であった。いずれも掲載年は1982年か1983年の筈で、空電研究所で雷放電のグループにするようになって、研究所図書室の新着雑誌の書棚で見つけた。今日の研究者たちはウエブ検索で興味ある論文を手に入れることができ、時間の遅れなど論外だろうが、あの当時は少なくとも一二か月の時間差はあったろう。
さてJordan の論文。
ストリークカメラの結果を10程度の異なる高さでデジタル化して、並らべ比較していた。もともとはフィルムで取得したアナログデータながら、それでも帰還雷撃に伴う発光現象が、進行に伴ってどんどんなまっていく様子が理解できた。
以前にも書いたように、そのころ私達は観測をディジタル化しようと腐心していたこともあって、仲野さんが開発した8本のフォトダイオード出力の、ディジタル記録へと発展していった。ただ装置が出来上がったものの、なかなか観測には結びつかず、中国での観測、インドネシアでの観測、いずれも不発で、やがてカナダ・トロントCNタワーでの観測となった。カナダは、マクマスター大学のチャン教授が私のために研究費をとってくれ2年間、その後は自前研究費で2〜3年間都合5年は続けたはず。そしてそのデータの解析はWD君が担当し彼の学位論文の一部となっている。さらに岐阜大学に籍を得てからも、彼は光学観測とりわけ放電路を進行する電流(あるいは光学量)の詳細な理解に大きな成果を出している。
余談ながら、私の研究者として進むべく方向の決定に影響を与えたGuoとJordan、Guoさんには1986年に出会い結果的にはGuoさんの弟子WD君を日本に迎えることとなっている。一方Jordanさんとは2011年だったろうか、愛弟子のYS君がポスドクで滞在したフロリダ大学で会うことになり、
「今の私は、あなたのあの論文に啓発されたからだ!」
と、ある種の片思いを30年の時を経て打ち明けることとなったのである。
(この稿続く)
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2022年12月24日

雷放電の観測 22

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クリスマスイブ Merry Christmas Eve

悔しい思いをしたこと、言い換えれば自身の未熟を痛感したことを昨日紹介した。その際私の詫びたことをRedyさんやUT君は覚えているだろうか?そして今日はもう一つ、恥ずかしい思い出を紹介したい。
それは広帯域干渉計を始めた頃の、思い違いである。
当初、ディジタルで周波数成分に分けてそれぞれの周波数でイメージング・画像化すれば、
「周波数毎の放電路が見えるのじゃないか?」
という、思い違いである。博士課程のWM君やUT君は、興奮気味に
「きっと違った放電路が見えますよ!」
と熱く語っていたけれど、私はその大いなる恥ずかしい誤解に気づき、やはり彼達に説明したと記憶している。まぁこんな風に、広帯域干渉計の開発は、右往左往しながら年を経、かかわった博士課程学生は、インドネシアからの留学生Redyさん、MT君、NY君、AM君とエジプト・アレキサンドリアのE-JUSTプロジェクトで面倒を見ることになったRottfy君と、都合十年余りの間に5人である。極めつけは、Rottfy君の研究用にと、200MHz16ビットサンプリングの4チャネルAD変換器の出力を、べたに15分間連続記録できるメモリーのお化け装置を開発したことであろうか。
一方私達が狭帯域干渉計と呼んでいる当初の装置の研究では、WM君、OJ君、そしてYS女史が博士の学位を取得している。UT君は広帯域干渉計の初期に関わってくれたが「LFからVHF帯の広帯域観測」という観点で学位取得、その後は縁あって気象観測用のレーダー開発に関わるようになり、Activeな装置での雷雲観測を主題にして今日に至っている。ちなみにYS女史も学位取得後は、原子力工学研究に転じその分野で活躍中である。
(この稿続く)
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2022年12月23日

雷放電の観測 21

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ニューメキシコ大学のリソンさんが、博士課程学生のRedyさんやUT君の広帯域干渉計の発表に見入っていた理由は、半年ほどしたら理解できた。いや臍を嚙んだというのが小いきなところであったろうか。我々の干渉計で記録した結果の真の意味を、私が理解できていなかったというのが正直なところ、つくづく自然科学者としての至らなさ、未熟さを実感したのであった。これは新しい発見の機会をみすみす逃したことと同じで、博士課程学生のRedyさんやUT君に詫びる外はなかったというのが正直なところであった。
Redyさんの観測は、俗にいう「青天の霹靂」の観測的解釈で、放電の進展が雷雲の上部に 向かって進みやがてしばらくした後落雷となる(つまり雲外に出て落雷に至る)という物で、ニューメキシコ大学の論文でBolt from the Blueという記述を見て、眼から鱗だった。
UT君の中国高原地帯の観測結果では、雲放電が雷雲の二重層を結ぶ雲内放電として画像化できていた。それを雲放電が電気二重層を中和して完結していると解釈できなかったのである。雷放電の観測的な研究に関わって15年ほど経っていたというのに、
「まだまだ経験不足。奥が深いなぁ!」
と、反省するしかなかったのである。その一方、
「我々の広帯域干渉計は、改良の余地があるとはいえ、性能的には決して劣るものではない。
という自信を持つことができた。
「いかに科学的に観測結果を理解するかだ!」
が、痛い目を見た私の結論であった。
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2022年12月22日

雷放電の観測 20

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今日は冬至。昼の長さが一番短い日

ニューメキシコ大学のグループが、なぜ広帯域干渉計から手を引いたのか分からないまま、私達は積極的に観測を続けた。当然観測結果からは、あたらしい現象が見つかり、国際会議での発表や関連学会誌への投稿を積極的に行っていた。そんな中サンフランシスコのAGU 秋季大会で、ニューメキシコ大学のリーダー、ポール・クレベールから
「河崎、お前のは干渉計ではなく、sophisticated time of arrival だ。電波干渉の意味を考えたら、干渉計とは言えないよ!」
と指摘を受け、
「私達のグループはVHFの帯域で時間差法を適用してLightning Mapping Arrayを完成した。これだと放電進展の様相もよく見え、実用的にも十分だから。」
と告げられた。
実際彼らの論文発表では、放電路が見事に再現され、聴衆の何人かから
「阪大の干渉計では、放電路が細く出ない。LMAの方が良い!」
といった声が上がり、何やら勝負あったといった具合であった。それでも私は
「時間差法なら、1970年代の南アフリカのプロクターの一連の論文で、多くのことが明らかになっている。それにVHFがバースト状に放射されている場合には、プロクターだって時間作法では無理と言ってるじゃぁないか!」
と、反論したかったけれど、悲しいかな多勢に無勢といった感じで悔しさばかりが残った。それでも、彼らがやめたのは広帯域干渉計を見限ったからなんだろうと、独り納得した。
ただ不思議に思ったのは、
「広帯域干渉計は、干渉計ではないし性能で劣る!」
との非難をしているのに、メンバーの一人のリソンさんが、阪大の博士課程学生の発表にえらく執心しているのは、いかにも不思議に思えた。
(この稿続く)
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