2023年02月10日

卒論の頃 3

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卒論の頃の思い出、私が博士学生だったころにまで戻って、あれこれ思い出している。
博士課程学生は教員ではないので、本来は卒研生指導の義務はないけれど、四年生の下書きに眼を通し、朱書きすることがある意味慣習化していた。実際私が三年間で面倒を見たのが、T君、O君、そしてK君だった。
T君は地元茨木高校の出身で、高校時代は水泳だったか、水球だったかをやっていたと記憶している。当然のように大学院に進学を希望したが、夏休み中も大学のクラブ活動や七帝戦に熱心で、受験勉強に身が入らず、一年目は見事に失敗した。そしてT君は卒業を選ばず、卒業論文がほぼ出来上がっていたのに、留年する道を選んだ。いわゆる「院浪」という事になるのだろうが、人生は皮肉なもので、またまた大学院入試に失敗。さすがに二年も遅れることはかなわないと、京都にあるM製作所に就職した。ところが30年以上もたって私が教授に昇進して後、偶然会う機会があった。その時彼は高校の教員となっていて、
「会社勤めより、高校生を育てる方が性に合ってますから!」
と、数年の会社勤めの後転職したと教えてくれた。T君は、受験戦争時代真っ盛りに高校生活を経験し、その経験を高校生を育てるのに役立てたかったのだろう。
次の年のO君は配属されてきたころから、なぜか大学院進学はしないと決めていた。そしてM電機を就職先と選んで、残念ながら卒業以来会う機会が全くない。ただ卒業研究には熱心に取り組み、成果も立派のもので、その一部は電子情報通信学会の論文に公表されている。進学していたらと、ふっと思うが、今はどうしているんだろうか?
もうひとりのK君。比較的優秀な成績で大学院入試を突破し、最終的には地元の電力会社に就職した。だからその後の付き合いは、長い。京都での結婚披露にも招待されたと記憶している。彼の修士二年目に、私は名古屋大学に籍を得たので、修論の面倒は確か同じ居室の助手MNさんが見てくれたのじゃぁなかったろうか。
いずれにしてもこの三人、私とは10歳も歳の差はないので、皆さん定年退職され毎日が日曜日を楽しんで(いや退屈かな?)されているに違いない。
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posted by zen at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活