私自身の性格を、面白いと思うのは、近所の同年配の子が上手に株切ができるとおばぁさんから言われたとき
「ほな僕も上手になろう!」
と素直に考えることのできることであったろうか。
一口で株切とはいうけれど、深く掘り起こしては株がそっくり出てきてしまうのでだめだし、浅すぎではからすきを引っ張る牛がスムーズに進めないという事になるので、これまただめなのである。一反の田の株を一つずつ切っていくのだから、結構な時間になる。単純作業とはいえ、深すぎた、浅すぎたと一喜一憂しながら、秋の日のつるべ落としの日が沈む頃まで、続けたものである。私自身結構うまくできるようになったと、自画自賛したい気もあったのだが、一二年で私達の村にも耕運機が入ってきて、飼っていた牛がいなくなった。当然株切は必要なくなった。
秋の農繁期が終わると、それまでの水田が畑に代わり、当時泉州地域の名産であった玉ねぎが栽培されるのが普通だった。畑作業は中学生の手伝いとしては毎日というわけではなく、それでもたまの日曜日には朝早くから借り出されることもあった。玉ねぎの成長に応じて、畝の谷の部分の土をかいて、玉ねぎの根元にかぶせていく作業で、私達の地方では「かて」と呼んでいたような記憶がある。半世紀以上も昔の事ゆえ記憶は定かではないものの、真冬の凍てつく寒さの中での、これまた根気仕事であったのは間違いない。いずれにしても育ててもらうようになって、こういった作業は短期間に覚えこまされた。最初にも書いたように、
「近所の子に負けとうない。」
という気持ちが後押しをすることとなり、甘えたで不器用だった私にしては、うまくこなしていたと信じている。
(この稿続く)

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