咋朝も出かけに一雨、お昼頃には曇天ながらもポカポカ陽気である。文字通り、一雨ごとの温かさで、長袖シャツだと、何やら汗ばみそう。4日火曜日に貝塚の自宅に戻った日にはすでに満開だった桜、それでもまだまだ日持ちはしそうで楽しめる。そして今日午後には、岸高以来の友人GM君が訪ねてきてくれるという事で、甘党の彼には「たねや」の甘味を用意して、花見としゃれこむつもりである。昨日紹介したMT君とは四半世紀を越す付き合い、そして今日のGM君とは、半世紀を越す腐れ縁となっている。
実は一昨日、母校大阪大学工学部を訪ねた。
しみじみ考えれば、入学したのが1973年4月だから、きっちり半世紀昔の事。この半世紀の間に、千里ニュータウンは、すっかりオールドタウンとなり、公団住宅は建て替えが行われ、別の街となった感がある。さて半世紀昔の大学の件。
本来なら最初の一年半は、教養部所属だから大阪大学石橋キャンパスに通うべきところ、学園闘争のあおりを食らって教養部は封鎖中、だからいきなり吹田キャンパスでの集合となった。あの頃は「千里ニュータウン」と呼ばれる新興住宅街を通って、新築して日の浅い工学部電気棟に出向いた。入学した通信工学科の会議室は9階建て建屋の8階にあり、世話役は数年前鬼籍に入られた滑川教授だったと記憶している。今から考えれば。この滑川教授は昇進されてそんなにも日がたっていなかった筈で、ほかに青柳教授。板倉教授、熊谷助教授、手塚助教授が歓迎して下さった。(この稿続く)

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