2023年03月21日

日本紀行 8

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
春分の日、そう俗にいう春の彼岸の中日

私、天邪鬼爺が大阪大学工学部通信工学科に入学したのは、1969年の春である。
あの頃は、大学闘争の「終焉期」に近かった。とはいえ多くの大学では、大学生による封鎖が依然として続いており、大阪大学も御同様で石橋の教養部や、本部の松下講堂が封鎖・占拠されていた。だから当然入学式は行われないまま、自宅待機の案内が届いていた。ただ健康診断や基礎体力の測定だけは実施されたとはいえ、やることもなく無為な日々を過ごしていた。そしてゴールデンウィークもあけようかという頃になって、工学部から連絡が入り、工学部が移転した吹田の新キャンパスで学科として集まることになったのだった。その世話をやって下さったのが先日このブログに挙げた、故滑川教授以下の先生方で、入学早々の一年生が学部の教授連と一緒に活動できる珍しい学年となった。教授、助教授の先生方に加えて、大学院の先輩たちも出てこられ
「なんも勉強せんでいたら、もったいない。自主講座をしよう!」
と提案され、確か量子力学の入門書を教えられた。週一二回の自主講座は一か月ほど続いたが、結局誰も来なくなった。
滑川教授はそんな様子を見て、府立の工業試験所に抵抗やコンデンサの負荷試験の手伝いを紹介して下さって、この手伝いには、GM君はなぜか参加はしなかったけれど、私を含め4人か5人が大阪市の信濃橋に、毎日通った。参加した同級生、私を除いてはんだごてを器用に扱え、何やら引け目を感じながらの参加となった。このアルバイト兼電気回路の導入教育は、半年ほど続いたろうか。そして7月のある日、アポロの月面着陸があり、一緒に作業をしている同級生達と、大いに盛り上がったのをいまだに懐かしく思い出すこともある。
(この稿続く)
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 07:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白