2023年03月24日

日本紀行 11

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電気系三学科の五十音名列の前半と後半を、それぞれ一クラスにして講義を受ける形がおおよそ半分以上もあったろうか。そんなわけで新しいクラスメートと一緒に行動することが多くなった。通信工学科、電子工学科は昔でいう弱電あるいはエレクトロニクスが主であったのに対し、電気工学科は強電の科目が多く、そんなことも関係してだろうか、通信工学科の仲間に加え、電子工学科のA君、I君とはなぜか気が合い、麻雀仲間となった。麻雀そのものは京橋に通いだした頃、GM君に連れられて雀荘に行き、覚えることを強制とまではいわなくとも、
「一人足りないから、座って適当にやっていたら覚えるから。」
といった調子で、雀卓に座らされて、結果的には覚えてしまったというのが正直なところであった。講義が石橋キャンパスに移ると、阪急石橋駅前の雀荘を誰かが探してきて、ちょっとした時間があると、雀卓を囲むようになった。
そんな中でも記憶に残っている思い出は、石橋キャンパスイ号館でなんかの講義を受けていたら、麻雀仲間がやってきて
「手ぇたらへんね、貸してくれるか?」
と誘うので、講義自体はあまり面白くなかったこともあって、教室の外に出たら、
「これであと二人や!」
と、白状され大笑いしたことである。
さて私に無理やり麻雀を覚えさせたGM君の事である。
彼はある意味「理論家」で、運動にせよゲームにせよ、とにかく入門書を漁って覚えるといった具合。遊び以外にも受験生時代には、物理の成績が伸びなくて困っていたら、
「参考書を丸ごと写し書きしながら、理解するんや!」
と教えられ、目からうろことなったことを覚えている。この件に関しては、いまだに感謝の気持ちが絶えずにいる、何ぞというと、大いに青臭い思い出だろうか。
(この稿続く)
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posted by zen at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白