卯月晦
戦火のスーダンから脱出して、専用機で帰国された方のコメントが眼にとまった。
「富士山が見えたときは、涙が出た。」
と語っておられて、さもありなんと思う。
古い話ながら、この爺が足掛け三か月中国で過ごして、大阪空港に戻った時、大阪城を見て眼がしらを抑えたのを思い出す。当時私は爺ではなくまだ39歳、1988年7月から9月にかけてのこと、そして帰国したのは9月初旬である。滞在中の前半は、中部大学のSさんと一緒だったから、解放前の中国と言えども、寂しいなんぞといった気持ちは全くなかったけれど、彼が一足先に日本に帰り、私は中国科学院のスタッフと陸路汽車で蘭州まで行き、おおよそ一か月その蘭州で過ごした。さすがにこの時は、40歳前で気が張っていたとはいえ、心細いこともそれなりにあった。解放前の中国、英語を話すのは限られた人数で、一緒に実験に参加した中国の学生さんでも、意思の疎通に不便を感じなかったのは、今岐阜大の教授になっているWさんと中国の大気電気学のリーダーであるQさんの二人ぐらい。35年近い時を経て、中国の今日には驚かされるばかりである。
ちなみに有難かったのは、日が暮れると週に一二回街角にイングリッシュコーナーという自然発生的な集会が発生して、あれこれ話すことが出来た点であったろうか。そこでは英語以外は離さないという決まりがあり、中国人の前向きな姿勢に感心するとともに、勢いを感じ、世話をしてくれている若い学生さん達に
「中国はすぐにすごい国になるよ!」
と申し上げたことを覚えている。彼らは信じようとはしなかったが、10年余りで世界第二位の経済力を持つ国に成長したことは、皆様ご存じの通りである。
話題がすっかり変わってしまったけれど、富士山を見て目を潤ませた同胞の気持ち、大いに分かると申し上げたかっただけだったのに・・・。

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