2023年05月21日

日本へ一時帰国 6

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
日本滞在も、余すところ今日を入れて三日。
とはいえ最後の水曜日は空港に向かわねばならないので、実質二日しか残ってはいないことになる。さらに明日は大阪大学の吹田キャンパスに出向くので、実質一日。そして今日は午後からは、インターネットの工事にJCOMがやって来るので、ますます窮屈なスケジュールである。ただしネット環境が整わないことには、貝塚の自宅に居る理由はない。だからJCOMの工事を最優先事項として交渉、そしてようやく取り付けた約束は、今日午後の工事なのである。だからこの続きは、夜にでも。
ところがである。
約束の正午はおろか、一時になっても二時になっても、工事のスタッフが現れない。担当者に電話をかけて確かめたいのだが、私のモバイルはシンガポールのものゆえ、会社の規則という事で、応答なし。イライラしていたら、G君が訪ねてきたので、
「電話の工事屋さん来えへんね。悪いけど電話してくれへん?」
と頼んで、確かめてもらった。
結果的には3時間遅れで、工事屋さんが来て、当然三時間遅れで完了。我が家にネット環境がようやく整い、現在急ぎの仕事を続けている。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外生活

日本へ一時帰国 5

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
貝塚の自宅にいる。俗にいう、生まれ故郷である。
この生まれ故郷も御多分に漏れず、残念ながら、限界集落に近づいている。
大阪市内まで、私鉄を乗り継いで1時間余りで行ける距離だから、それなりに便利だし、関西空港までだってやはり1時間余りで、これまた便利である。
そもそも1995年に生まれ故郷に家を建てようと意を決したのは、
「関西空港まで、高速道路を走れば30分とかからない!」
ことから・・・。それに当時は海外出張の機会が増えていたし、東京にもちょくちょく出かけなくてはならなかったからでもあった。
振り返ってみれば、大阪大学に入学し通い始めて2年、工学部の本格的講義も始まり、故郷を離れたのが1971年の春だったから、四半世紀を経てのUターン、故郷は村はずれに高速道路の出入り口も出来、一変していた。その頃にはほどなくして小さいながらもスーパーマーケットが開店、その近くにはコンビニも出来た。
以来30年三昔で、文頭に述べた限界集落化。
少子高齢社会を目の当たりにして、政治家センセイ達のおっしゃる「国難」いや「村難!」を実感している。村の目抜き通り(?)を歩いてみれば、空き家然とした古家も少なくない。古家が残っているのはまだしも、取り潰して代わりに数軒の建売住宅。
「限界集落寸前なのに、売れるのかしらん?」
の心配をよそに、新しい主がいらっしゃったりする。
生まれ故郷にしてみれば、有難い新住民という事になろうか。

lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外生活