まいど古い話で恐縮ながら、2000年年末からの10年余りの思い出話である。
私・天邪鬼爺は2000年12月に教授に昇進した。2000年は20世紀の最後の年にあたるし、国立大学の制度上辞令は、1日と16日に限られており、私の場合‘12月16日の事例であった。だから面白がって
「私は、20世紀最後の国立大学教授だ!」
と吹聴して、笑いをとったものである。というのも「最後の」の修飾語に皆さん一様に驚かれ、意味を理解されたら、ワーッと盛り上がるからである。
その私、エジプトに長期出張になる2010年の10月までの10年間東京によく出張した。
多い時には週二回と言うのも、稀ではなかった。だから時間を節約するため、伊丹・羽田便か、関空・羽田便を利用した。国立大学の制度としては、新幹線を利用すべきなのだが、それではとても研究室の運営が立ちいかなくなるので、已むを得ぬ規則違反をやっていたのである。例えば朝暗いうちに貝塚の自宅を出て、阪和道で吹田に向かい、午前六時頃から七時半まで教授室にいて、八時過ぎの便で羽田に移動。午前中の会議をこなし午後三時頃の便で伊丹に戻るという具合であったのである。
そして明日は、機内での話を続けることにしたい。

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