2024年10月21日

コタツ出したんやて

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親友のゲェーヤンから、ついさっきLINEメッセージが入った。
「ついこの間まで暑かったのに、急に北風が吹いたりして、昨日コタツ出しました。」
確か二三日前、
「気象庁が記録を取り出してから、一番遅い真夏日。」
なんぞというニュースがあって、地球温暖化の影響かと報じていた筈やで。
それにしてもコタツとは、えらい気の早いちゅうか、それともゲェーヤンそんなに寒がりやったかな。何年か前に大病しやったと聞いとるけどその影響かも知れへんな。わてより七カ月遅う生まれてはるよって、ともかくわてとおんなじ75歳の後期高齢者やもんな。これもLINE で二週間程前にもろうたメッセージやと、ゲェーヤンの年内のテニスもあと数回らしい。冬場にはお休みなんやろな。
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2024年10月20日

おばぁさんへ

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ゆうさんの誕生日、上皇后様の誕生日
わいには「おばぁちゃん」「おばぁさん」がいた。
「おばぁちゃん」は、正真正銘の祖母で、わいをめちゃめちゃ甘やかして育てやった。昭和7年12月、30歳代後半で未亡人となり、その時一男二女があってほんまに苦労して育てたのに、その長男が徴兵に取られてビルマのシッタン川河畔で戦死、跡取りなくしただけに、わいの誕生がうれしかったんやろ。自分でいうのもなんやけど、眼に入れても痛ないちゅうように可愛がりやった。
ほんで「おばぁさん」は祖母の妹で、祖母がわいの小学校4年の12月に他界して後、わいを10歳から20歳過ぎまで世話し育ててくれたんがこの人や。
「おばぁちゃん」が元気やった時からでも、「おばぁさん」
「姉ちゃんは、善一郎を甘やかしすぎる!」
と厳しかったし、そんな苦言はわいの耳にも入るほどやった。「おばぁちゃん」が亡くなってからは、とりわけ厳しうなったのを、わいは実感したもんや。
その「おばぁさん」が亡くなって、今年で確か35年や。ほんまにはやいもんやなぁ。わいが名古屋大学に30歳で就職したんがその十年前、愛知県に出発するわいが
「行ってきます!」
ちゅうて挨拶に「おばぁさん」を訪ねて
「ほないっちょいで。」
ちゅうて、近くにお使いに行かすよな口調で、上機嫌で見送ってくれた。あれから少しずつ弱って、今でいう認知症が少しずつ進んだって聞いてるけど、10年経ってわいが阪大に移動になって戻った頃には、すっかり元気なくしてはったなぁ。
お涙頂戴やないけど、わいが大阪に戻ってからほんまに一年ほどで、わいの帰阪を待ってたみたいに亡くなりはったんや。
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2024年10月19日

長電話

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中国は洛陽にいる友人と話した。
マイクロソフトのチーム会議という便利な遠隔会議システムで。
会議と言っても参加者は二人だけ。
速い話電話と一緒である。
研究に関わる内容ながら、ついつい話が長くなる。
気がつけば一時間はつとに越していた。
一昔前なら、シンガポール・中国洛陽なら、数万円を超す電話代になったろうに。
「より良き通信は、より良き世界をもたらす。」
といった明言を、聞いたことがあるけれど・・・。
1970年に開催された吹田万博では、「テレビ電話」が近未来の通信手段といわれ、電電公社のパビリオンだったろうか、設置されていたような記憶がある。以来半世紀、もはやモバイルででも、画像付きの更新が可能となっている。(いまさら言う事でもなかろうが!)
そしてインターネットを利用すれば、それも代金限りなくゼロで楽しめる時代である。
いや楽しむだけではなく、仕事にもつかえる。というより不可欠となっている。
月並みながら、便利な時代になったものである。
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2024年10月18日

ひろっちゃんへ 3

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今宵は今年のスーパームーン、視直径が一番大きい満月だそうな
そんな日に、俳優西田敏行さんの訃報が流れた。個人的には好きな俳優さんの一人だったし、年齢も近いだけに何やら他人事とも思えない。ともかくご冥福を祈って、合掌


ひろっちゃんの事で、書き忘れてたことがある。
それは1969年夏の事や。
わてが大学に入学した年のお盆の頃のや。
わいの生まれ育った泉州地域は盆踊りが盛んで、この時だけは子供の家に帰るんが少々遅うても親はあんまし文句言わへん。お酒も覚えるんがこの盆と、それから秋の地車祭りの時で、ついつい無礼講になる。そんなやから隣村の連中なんかとちょっとしたいざこざが起こったりするんや。そのいざこざに巻き込まれて、ひろっちゃんは大けがした。千枚通しで胸刺されてしもうたんや。せやから救急車で運ばれやって、緊急手術受けやった。お酒飲んでたから麻酔が効かへんちゅうんで、わいはその手術にたちおうた。重症には違いなかったけど、肺の空気さえ抜いたら、傷そのものはおおきなかった。それでも一か月後の関西の大学の空手選手権に出るちゅうんで、わいは今は鬼籍に入ってしもう打てる同級生のりょういちちゃんと、応援に神戸の体育館まで出かけて行った。ほんでひろっちゃんはその大会で準優勝しやったんや。ほんの一月前には、ちょっと千枚通しがずれて心臓突き刺してたらちゅうような怪我しやったのに、西日本で二番目の成績やなんて、いやもうスーパーマンやで。
そんなひろっちゃんやから、今も元気にしぶとう頑張ってはると信じてるで、わいは。
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2024年10月17日

梯子外すな

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ほんまに阪神タイガースちゅう球団は、いやんなるなぁ。
これからクライマックスシリーズちゅう時に、よりにもよって岡田監督の退任を発表するんやもんな。これでは
「ペナントでは二位になってしもうたけど、クライマックスシリーズ勝ち上がって、今年も日本一に!」
ちゅうてあらぶってた選手も、やる気なくしてしまうで。
いやなに新しう監督になる藤川さんが、あかんちゅうてんちゃうで。
岡田監督も60歳越してるし、ご苦労さんちゅうて身ぃ引いてもうたらあかんちゅうてんでも無いで。身ぃ引いてもらうには、それ相応の手続きちゅうもんがある筈や。それをいきなり梯子を外してしまうような退任ちゅうより「首切り」の発表やもんな。
わいは大阪人やよって、阪神タイガースが頑張ってくれると嬉しうなるけど、球団のこんなやり方は、ほんまに好かんし、この球団はこんなやり方ばっかりやってるよな、気がするでぇ。大阪人のわいが、心底から応援でけへんのは、こんな不人情なやり方をまかり通す、あの球団の体質が好かんからやで。それにしても人情に熱い筈の大阪人が、なんでおんなじことばっかし繰り返すんかいな・・・。
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2024年10月16日

総選挙

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衆議院が解散されて、選挙が公示されたんやと。
舌戦が開始されたと、マスコミ雀がかまびすしいでぇ。
長い事日本の国外に住んでるんで、あんましピンとはけぇへんけど、またぞろ政権与党が過半数取るんやろな。
アメリカ合衆国やイギリスみたいに二大政党が、政権を取り合いっこする様にちゅうて、20何年か前に「小選挙区制」ちゅうのを日本も採用したけど、まったく裏目になったしもうたな。政権政党はますます強うなって、やりたい放題になってしもうたな。
わいは気取っていうわけやないけど、
「知識人やったら、総選挙には野党に投票すべき!」
ちゅう信念みたいなもん持ってて、小選挙区が導入されたとき、本音で歓迎したんや。
せやけど、残念ながら日本ちゅう国には、二大政党が政権の取り合いっこする形は機能せせえへんみたいやな。
「なんでやろうか?島国ちゅう国民性なんかな。」
せやけど、島国ちゅうたらイギリスもそうやから、そういう解釈は当たらへんやろうな。
日本は保守的ちゅう一言で言うてしまうわけにはいかへんと思うけど、困ったこっちゃとわいは思うとるで。

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2024年10月15日

ゆうさんへ 2

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ゆうさんへ 2
ゆうさんもわいも、ちゅうたら叱られるかもしれんけど、お互いに親には縁がうすかったんやもんな。じっさいゆうさんは、子供の頃養子に出てるし、母子家庭やったわいは、その母親がわいが中学一年の時鬼籍に入ってしもうたし。こない書いたら知らん人やったら、お互い慰めおおて仲良くなったんちゃうかと思うやろうけど、そんなやったらこないに長続きはせんかったと思うで。
自分でいうのもなんやけど、わいらはもっとおおらかやったと、わいは信じてるで。
ほんでや、わいがわいらの縁を、
「切っても切れるもんやない。」
と確信したんは、わいが愛知県から大阪府に移り住んだマンションの掃除のおばさんが、なんとゆうさんが探し出したちゅう、何年か生き別れになってたちゅうおふくろさんやちゅうんを知った時や。
大阪になんぼもあるマンションやのに、たまたまわいがなんも知らんと選んだマンションなんやで。
「こんな不思議があるもんやない。これこそわいらの縁ちゅうもんや!」
あれ以来や。最近「ガチャ親」ちゅうわけのわからん言い回しが、話題になったけど、
「ガチャ親なんちゅうなもんは無い。子供にはその親の子供として生まれて来る縁があるし、親にはその子を子供として授かる縁がある。」
とわいは信じてる。
せやからゆうさんとは、70年近くも、いやもう10年は続けたいなぁ、ええ友だちとなる縁があったんやできっと。お互い10年は元気でおりましょう!約束やでぇ。

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2024年10月14日

ゆうさんへ

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ゆうさんへ
いやほんまに長い付き合いになったなぁ。
ちゅうてもまだ終わってへんし、まだまだ続くと思うけどな。
ゆうさんは企業人になって、わいは大学人になって、何となく会う機会も減ってたけど、ゆうさんが東京に進出した年にわいはスウェーデンに一年留学したんや。どっちも4月からやったんちゃうかな。ほんで一回会おうちゅうことになって、確かあの当時ゆうさんが住んでた茨木のうちに訪ねて行ったんや。お互いが「大きく動き出す時期」やったし、偶然の一致やろうけど,これが縁ちゅうもんやな。
それから五年ほどして、朝早うにこれまた偶然東京駅でばったり会うた。ほんで
「今晩東京で泊りや。明日東大で講演するねん!」
ちゅうたら、
「ほんならうちの阿佐ヶ谷の家に泊まれや!」
ちゅわれて、新宿やったかな待ち合わせしたんやったんちゃうかな。
この朝の偶然出会いもたぶん縁ちゅうもんやろな。あの時以来中学校時代以上のいききが復活したと、わいは記憶してるで。なんせあの夜は遅くまで飲んでて、阿佐ヶ谷の家について横になってからでも、明け方近くまで話しした筈やし。
次の日は二日酔いもなかったし、おかげさまで無事講演も出来たしな。
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2024年10月13日

ひろっちゃんへ 2

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中学生になってすぐのころやったから4月か5月やと思うけど、ひろっちゃんから
「野球の試合あるんやけど一人足りひんね。善さん来てくれへんか?」
と誘われて自転車でついて行ったんが、わいは生まれて初めての野球やったんや。
「野球やったことないし、ソフトボールでも下手やのに・・・。」
ちゅうて尻込みしたんやけど
「人数足れへんかったら試合出来へんし、ええからついてこいや!」
ちゅう調子で、それこそ連れていかれたんやけど、ひろっちゃんは覚えてますか。
ほんで相手チームの中には、中学校の同じクラスのアオタニくんやサカモトくんがいて、わいの運動音痴知ってるよって
「善さん野球できるんか?」
ちゅうてからかいやった。
ひろっちゃんは
「あいつらのいう事、気にせんでええよって。善さんは九番で守備はライトや。」
ちゅうて慰めてくれて
「一時間もせんうちに、メンバー来るからそれまで頑張って。わいがピッチャーやからライトには打たせへんよって。」
と続けやったんやで。ほんでほんまに守備機会は、ゼロやった筈です。
でも打つ方は、三回表やったか裏やったか覚えてへんけど、廻ってきて
「善さんバットふるな、立ってるだけでええよって。」
ちゅう命令や。それ見てた体の妙にでかい中学三年の先輩が、バッターに入るわいのところにやって来て耳うちしやったんや。
「君、河崎先生の息子さんやな。打ち方教えたる。バッター振り回さんでええから、ピッチャーが投げたら、ボールにバットあてに行ったらええんや。」
ほんでその通りやったら、バットに当たったボールが、ソフトボールと違うて面白いほど飛んで、グランドの端まで転がっていきやった。
ひろっちゃんは
「ヒットや善さん走れ!」
ちゅうんで、必死で走って初打席やのに三塁打になった。次の一番のバッターのヒットで無事ホームインしたら、ひろっちゃんが
「もうひとり来たから、善さんは交代や。最後まで試合見てたらええで!」
とちょっと薄情な選手交代。わいは三塁打打ったし、もう一回打ちたい思うて、ちょっと残念やったんやで。
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2024年10月12日

ひろっちゃんへ

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ひろっちゃんへ
「お元気ですか?」と尋ねるにはあまりにも長く会うてないんで、適当な問いかけでは無いような気もします。が、ともかく「お元気ですか?」
最後にひろっちゃんに会ったんは、多分1980年台前半、わいが名古屋大学に就職していて愛知県の岡崎に住んどった頃やと思います。せやからもう40年はご無沙汰してるわけです。なんかの用事で貝塚に帰って来て、確かひろっちゃんの家の台所ちゅうか居間ちゅうか、裏の勝手口からわいが顔出して、二言三言話した筈やで。正確にはおばちゃんとわいが話してて、その与太話にひろっちゃんが口挿みやったあの時以来、会ってないとおもいます。ほんまに懐かしいです。
ひろっちゃんはわいのおかんの従弟やけど、わいとは一歳違いで家も近所やったさかい、中学生ごろまでは兄弟みたいに育ちました。わいはともかく運動音痴で、ひろっちゃんはスポーツ万能、キャッチボールをようやらされました。運動音痴のわいでも、ボール投げたり受けたりはまぁ人並みにできたもんです。相撲やレスリングごっこは、ワイの方が体が大きかったんで、結構ええ勝負やったんちゃうかなあ、というのも思い出です。
それにしても「音信不通」ちゅうのはつらいです。ひょっとしたら亡くなってるかもちゅう人もいますが、きっと元気にしてはると信じてまっせ。
実は半月ほど前、ひろっちゃんの姉上・かぁちゃんが、わいが一時帰国して貝塚におるちゅうんで、広島からあいにきてくれました。かぁちゃんとは50年以上もあってなかったんで、半世紀ぶりの「ご対面」でした。
(この稿続く)

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