不意に60年以上も昔に亡くなった母のことを思い出した。
この傾向は、あれこれ悩んでいるときに、若い頃からと同じである。
そして今回の内容は、小学校の教員だった母が、時折私の同級生を伴って帰宅することである。
以前もブログで紹介した私と同級生のリョウイッチャンもその一人で、餓鬼大将だったリョウイッチャンが、母のお気に入りの一人だったのだろう。私といえば運動神経が人一倍悪く、彼と遊ぶことで少しは改善されるかと、母は期待していたに違いない。彼とは幼稚園の時から、中学校を終わるまではずっと一緒であったが、非常にと言えるほど仲良くなったのは、高校生となった頃からであったろうか。今でも記憶に残っているのは、私が阪大病院に網膜剥離で入院したとき、わざわざ阪急沿線の石橋にあった分院にまで見舞いに来てくれた時の事である。
当時リョウイッチャンの家では、鶏を1000羽以上も飼っての養鶏業を営んでおり、その卵を20個紙に包んで持ってきてくれた。ただ餓鬼大将だったにもかかわらず、ある意味人見知りがすごかったので、見舞いに来てくれた労をねぎらっておばあさんが話しかけると、慌てて
「善さん、僕帰らぁ!」
と言いながら帰ってしまった。
貝塚といえば大阪府の、ほとんど南は端、石橋はといえば大阪府の北の端に近く、片道二時間は優にかかるのにと、今頃になって思い出している。