2017年07月05日

智将・上田利治逝く

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「阪急ブレーブス」なんぞといっても、今の若者には判るまいが、1970年代のプロ野球パシフィックリーグを牽引していたチームなのだが、そのチームを作り上げた名監督・上田利治さんが亡くなったとネット新聞で知った。
余談ながら、阪急電鉄が球団経営に興味をなくし、手放して後オリックスブレーブスとなり、その後近鉄バッファローズの経営を近畿日本鉄道が放棄したとき、ブレーブスが吸収する形で一つとなり、現在はオリックスバッファローズとなっている。
さて上田利治さん、昭和30年代、関西大学から広島カープへと進んだのだが、選手としては芽が出ず、その後コーチ、監督と指導者になってから名を上げていった。ちなみに現役時代の守備位置は捕手である。関西大学時代は、村山投手と組んで関大の黄金期を作った一人だったとも記憶している。相方の村山投手は、選手としての成績はタイガースファンでなくとも知っている人が多いほど堂々たるものであるが、指導者となってからの村山さんはあまり芳しい成果を上げてはいない。上田利治さん私の理解では、歴代の名監督の何番目かにあげられる筈であるから、いろいろな意味で対照的ということになろうか。
村山・上田のバッテリーに関し、こんな逸話を聞いたことがある。
村山投手は、阪神タイガースで主戦投手として活躍した。そして若くして監督に抜擢された。多分30歳代前半だったろう、青年監督と評判にもなったし、監督をやりつつも現役を続けるという触れ込みであった。村山は投手は監督を引き受けるにあたって、その頃は上田さんはコーチとして頭角を現していたころだったので、旧友の助けを借りて阪神タイガースを強くしたいというのが、村山投手の本音だったのだろう。しかし上田さんは固辞し村山さんは断念、結局阪神タイガースは長く冬の時代を迎えてしまうことになったのである。
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posted by zen at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活
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