2017年12月28日

パンダの話題から3

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パンダの赤ちゃんシャンシャンの話題から、情報操作・印象操作についてあれこれ思案を巡らせている。爺自身の中でも、主張の右往左往していることを自覚しているとはいえ、それでも書かずにはいられない。とりわけ政治向きの事に関して、日米両国首脳がマスコミ報道にやけに神経をとがらせる雰囲気があり、圧力をかけているように感じてならない。
話は変わるが、わが国には平安時代の頃から「落首」という、政権批判の文化があったというから、1000年も昔からである。政治が荒れてくると、庶民が政治の向きを批判する狂歌、川柳を高札としたという。高札は本来、為政者から民衆への周知を目的としたものだったから、正確には「私設高札」とでも示すべきかも知れない。そんな慣習、文化を持った国に有って、
「報道に偏りがある!」
と、取り締まろうとする政権与党には、辟易とする。
というのも、これはこの爺の持論ながら、
「マスコミ報道の使命は、政権に対峙し常に批判することである。」
と信じているからである。つまりこういった批判が、政権にとっての反省材料になるからである。人間が考える以上完璧は無いので、独善的になることを防いでくれる、それがマスコミ報道の批判に違いがないから。
「総理大臣である私が間違うはずがないのです。」
「非戦闘地域は、私が非戦闘地域と判断するからです。」
等々の迷言があるけれど、こういった積み重ねが国を専制国家に進ませることになる。そういった事例を、私達は時の流れとともに経験し、歴史を通じて学んできた筈である。悲しいことながら、昨今のマスコミ報道は、平成の落首・高札とはなっていない。
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posted by zen at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時の話題
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