2018年03月03日

初等教育を考える

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大学院で工学博士の学位を取得後、私は名古屋大学空電研究という理学系の職場に席を求め、以来64歳に大阪大学で定年を迎えるまで自然科学者として活動してまいりました。そしてこの間首尾一貫して
「自然科学で世界に伍して活動していくためには、今までにない観測装置を考案して新しい現象を発見すべく務めねばならない!」
の理念を持って活動してきたつもりです。かかる意味で、工学を背景に持ち、科学に取り組み続けたことは、大いに正解であったと理解しています。実際私どもの設計製作した装置は、世界に類を見ない装置で欧米の論文にも「大阪大学の広帯域干渉計」でしばしば引用されております。
我田引水はさておき、私が曲がりなりにもひとかどの自然科学者として活躍できたのには、子供の頃の年長者からのさりげない「一言」が役立っていると理解しています。
まず5・6歳の頃だったろうと思います、祖母が
「隣村に江戸時代に雷の研究をした人がいたんやでぇ!」
と私に言って聞かせたことを60年以上たった今でも覚えています。だからと言って、決して学者になれ何ぞと強いられた記憶は一切ありません。ただその言葉が、子供心にあこがれの種を撒いたことに違いないと理解しております。余談ながら、だから雷の研究者になったと主張つもりは全くなく、祖母の撒いたのは科学者の芽を出す種であったにすぎず、席を得た先に雷放電を研究しているグループがいたという、偶然の出会いに過ぎません。
話を本題に戻してもう一つ、小学校の2年か3年の時だったと思います。運動場で校長先生が近寄ってこられて
「今年になって、もう燕を見たかな?」
と尋ねられました。いきなりのことで本当に面食らいましたが、多分春休み前だったのだろうと理解しています。以来というと大げさですが、春先になるとついつい渡って来る燕を気にするようになりました。この校長先生は、
「毎日毎日では気付かないが、一月毎に日の出や日の入りを見てみたら、随分と変わるんだよ。」
といったこともおっしゃり、私は一年を通じて日の出の位置を記録し続けることになりました。
このように例を上げればいくらも出てくるようですが、押し付けられなかったことが幸いしたと理解しております。ですから初等教育の場では、決して押し付けではなく、子供の興味が自然と湧くような導入を考えてと考えています。なおこれは何も理科系的な志向に限らず、文科系的な志向に関しても同様であることは言うまでもありません。
加えて子供はしばしば、「なぜ!」という質問を発しますし、それは大人の目ではごく当たり前ですから、ついいい加減な対応となりがちで新しい芽をついつい摘んでしまうこととなります。ですから初等教育に有っては、
「いかにして子供の目線を、指導する側のものとするか?」
が肝要と考えております。
以上勝手なことを書き連ねましたが、これが初等教育に対する私の考えです。
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posted by zen at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張
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