2019年09月20日

二人の貴乃花

⇒⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
インターネット新聞で、「あの日、貴乃花は二人いた!」という記事を読んだ。
そう膝を痛めて、それでも土俵に上がり、横綱・武蔵丸との優勝決定戦で、鬼の形相で勝利をもぎ取り、土俵に上がった総理大臣に
「感激した!」
といわしめたあの日である。
本割ではあっけなく武蔵丸に敗れ相星となり、優勝決定戦となるのだが、本割を見る限り膝はかなり重症で、武蔵丸の優位は誰もが予想した。
あの日この爺は
「ここで無理をしたら、力士生命が終わる!」
と予想し、結果としてはあの日以降完治に一年以上もかかり、治癒して土俵に上がっても横綱の務めを果たせても、優勝は無しえなかった。だから結果として力士生命を犠牲としたのは、ほぼ紛れ無い。
さて武蔵丸のいう「あの日、貴乃花は二人いた。」についてである。
一人目は、膝に故障を抱える貴乃花、二人目はがっぷり四つに組み止めて武蔵丸を投げ飛ばす貴乃花である。これを精神力の一言で済ませるわけにはいかないだろうが、大なり小なりあるとこの爺は信じている。つまり本割は弱気な貴乃花、決定戦は強気の貴乃花で、西洋の合理主義に慣れ親しんでいる武蔵丸には、この違いが理解できなかったに違いない。だから本割のあとを受け、決定戦ではすんなりと四つに組んでしまい、結果として投げ飛ばされてしまうのだが、きっと
「投げ飛ばすことができまい。だから組んだところで優位は変わらない。」
と陽には考えていなくとも、心の底にはそんな考えがあったのだろう。考えてみれば、数年前の稀勢の里の一番、30年以上も昔のことなら、山下対ラシュワンのロスアンジェルスオリンピックの決勝戦も同じ範疇にはいる。
西洋型の合理主義には、絶対受け入れられない事例ではなかろうか?
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/186581290
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック