2019年11月02日

英語修得 5

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日本人の英語での情報交換能力、とりわけ会話力のお粗末さを指摘したのは経団連だそうで、多分それが引き金となって、英語教育や入試の改革が進んでいるのだろう。ちなみにそのお偉方が若かったときはどうだったのだろう、とは天邪鬼の影の声である。
さて昨日の内容で、「識字率を考えればわかりやすい」と書いたけれど、言葉が足りなかったようなので補足しておきたい。
「読み書きができなくとも、話す聞くのできない人はまずいない。」
と言いたかったのである。
江戸時代の江戸の町の住民の識字率は世界に稀なほど高かったと聞くが、それも町人の間では読み書きそろばんを習わせることが、重要視されていたからである。
ところで私達が成長につれて言葉を身に着けていくのだけれど、まずは親を通じてで、食事を与えながら、「マンマ」と教えられた記憶はなくとも、大概の場合そのあたりからでことは間違いなかろう。ウグイスも親鳥が、ホウホケキョを聴かせなければ、上手く鳴けないで育つといった話も聞いたとは、示唆に富んだたとえ話ではなかろうか。
いずれにしても、言葉は聞く話すから入り、読む書くに進むのが自然である。
ところが我が国では中学に入って英語を初めて学ぶのだが、最終目標を多分読み書きに置いてきた。このやり方でも、問題なく英語習得できる人がいる反面、「語学音痴」を自認する生徒など、単位さえ取れればいいやと開き直って、ついつい投げ出してしまう。そしてその割合が多いから、本日文頭の経団連の指摘となるのである。
その結果の改革は、読む・書く・話す・聞くの四能力を伸ばす教育が要求され、さらには入学試験でもその四能力を確かめる試験でなくてはならないと、大真面目に取り組んでいるつもりだから、
「大学ではそんな試験を実施 いじりまわしてできない。だから民間機関による英語試験を。」
との提言を文部省が受けた結果がドタバタ劇なのでなかろうか?
ただ皮肉屋の私としては、如何に入学試験をいじりまわして、四能力を確かめる高校までのの教育や入学試験で実力を確かめたとしても、卒業までその実力を保持するには、さらなる一工夫、二工夫がいるのであって、何もしなければ雲散霧消なのではなかろうか。(この稿続く)
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posted by zen at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張
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