2020年01月17日

思い出話 2

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今日は私の71歳の誕生日、そして神戸大地震25年

私達三人の結びつきの強さは、それぞれの家庭環境にも強く関係していたものとは、この歳になっての理解である。即ちY君は物心つく頃には母上と生き別れ、私といえば中学一年12歳の夏休みに母が他界、R君は高校生の頃に母上が、心臓発作だったと思が、急逝といった具合で、三人三様ながら母親との縁が薄かったのである。三人とも互いにそんなことで慰めあったりは決してなかったけれど、ある種の仲間意識が深層心理にあったのかもしれない。そんな三人の社会人としてのスタートは、同級生ながら全く違うのだから、自身のことながら興味深い。
Y君は高校卒業直後まず社会人となったが、大怪我をしたこともあって20歳の春が再スタートということになろうか。そのころR君は大学二年生、私はといえばこれまた網膜剥離という大病をして2年遅れでようやく大学生となった具合である。ただ私の大学生としての最初の一年間は学園闘争のあおりを食った関係もあって,まともな講義を受けなかった。それでも所属した学科の教授の紹介で、大阪高等技術研究所という名前だったろうか、抵抗やコンデンサの性能試験のアルバイトにありついていた。そんな具合だから、時間の許されるときは、Y君の出張について滋賀県に出かけた。出張といっても会社の車で得意先回りをするYの車に同乗していったものであった。
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posted by zen at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白
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