2020年01月21日

思い出話 6

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仲の良かった三人に、母のいとこのHちゃんが時々加わることは既に述べてある。
高校生になった私は、母が旅立って後育った、Y君宅の向かいの家ではなく、自分の家で夜を過ごすことが多くなった。いや正確には高校生になってすぐの頃の、母の叔母、私を実質育ててくれていて。私がおばあさんと呼んでいた人の
「善一郎も、もう高校生やさかい、自分の家で寝起せなあかん。壽エ吉さんの建てた家やさかい。」
という言葉がきっかけであった。早い話夕食後には、歩いて五分足らずの自宅に寝泊まりに行き、朝には6時前に起きてラジオで英語番組を聞き、7時には朝食にもどるという生活が始まった。
考えてみれば、大人の目から自由になるという環境が偶然にもできて、ある意味高校生には却って好都合、渡りに船というところであったろう。だから夏休みの声を聴くと、まずHちゃんが顔を出すようになり、やがてY君が、最後にはR君が加わった。如何に夏休みといえども、連日というと親が許す筈もないので、だいたいは何日かおきに集まってきた。ただHちゃんは身内ということもあり
「善さんが一人寝てるんやさかいなぁ。」
という私にかこつけての言い訳で、夏休み中ずっとやって来ていたような記憶がある。とはいえあの頃の高校生は純情なもので、夜に皆で集まって宿題をしたり、取り留めない話をしたりという生活だった。
夏休みが終わると、私は結構大きな家で一人で寝起きするという生活に戻った。虫の音を聴きながらの読書三昧を楽しんだのはあの頃のこと、吉川栄治の太閤記や宮本武蔵にはじまり、井上靖、川端康成を読み漁った。なぜか自宅での勉強の記憶が無く、高校生だったのになぁと長く不思議に思っていたが、数年前その謎が突然解けた。
岸和田高校の卒業50年の同期会で、
「河崎君は、授業のあとの休み時間によく数学の問題を解いていたわね。私はそのことをよく覚えているのは、一度なぜ今頃って尋ねたら『家に帰ってやる暇ないよって。』て応えてくれて、不思議に思ったから。」
と、見覚えのない同級生から声をかけられたからである。
私自身、なるほどなぁと納得した次第である。
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posted by zen at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白
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