2020年04月07日

思い出話 62

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大阪大学に入学したものの、講義の開講は目途が立たず、手持無沙汰な毎日を過ごしていたのは、正直なところであった。それでも親代わりに育ててくれた母の従弟のJさんの交通事故で、プロパンガスの配達はある意味責任を取る形となったのは言うまでもない。ただこの配達はある意味もぐりでやっていたので、これを機会に正式に免許をとろうと考えた。丙種化学という免許で、二日ばかり講習を受けたのち試験を受けるというもので、大学受験の化学試験に比べれば、随分簡単であった。以来大威張りで配達・販売ができる資格を、得たことになった。さらに高校二年の時軽四輪車の免許を取っていたので、数回普通車運転の講習を受け、、これも比較的簡単に普通免許に書き換えることができた。技術試験所のアルバイト料が入ったので、英会話の学校には通い始めてみたが、これは期待外れで、三か月の受講の後やめてしまった。ただ英会話の学校で仲良くなった女性と一度だけデートした。茨木に住んでいるという女性で、確か和歌山県の有田の出身で、一人で住んでいるという話だった。
吹田キャンパスに行こうと、梅田駅で地下鉄から降りたら偶然出会い、
「夕方会おうよ。」
と誘われたのである。とはいえ朝とその夕方の二度会ったきりで、以後全く疎遠になってしまった。確かその女性は大学を出て努めているということだったので、少なくとも私よりは二三歳は年上だった筈である。
そうこうするうちに、中之島の封鎖を解除するために協力するよう有志からの連絡が入った。そして闘争派からは、これまた何としても封鎖を継続するから応援を頼むという連絡が入った。確か10月の半ばではなかったろうか。
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posted by zen at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白
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