2020年05月20日

かっちゃんの事

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今日は弟子の話である。
忘れた頃にこのブログにコメントをくれる弟子で、私は彼の学生時代には「かっちゃん」と呼んでいた。かっちゃんと私が同じ研究室で研究に関わったのは1989年4月から1991年3月までと理解している。ただし私は1989年の7月に、名古屋大学から大阪大学に転勤しており、名古屋大学の修士課程学生だったかっちゃんは、卒業に必要な単位を修士一年次に取り揃え、名古屋大学大学院に在籍のまま、1990年4月から大阪大学の研究室にやって来た。
その後大学間での単位互換なんていう制度ができたりしており、
「あれが数年後だったら、ずっと楽だったのに!」
と、臍を噛む思いと一方では、
「かっちゃんに、肩身の狭い思いをさせたなぁ。」
という、申し訳なさを感じたりしている。
ただ言い訳にしかならないけれど、かっちゃんが私の所属している研究室で雷の研究をすると決め、大学院進学を決めたのが1988年の9月、そのころには私の転勤の話は全くなかったのである。その経緯を詳しく述べるなら、1988年当時、私と一緒に雷放電の数値計算をやっていたH君が、かっちゃんを私に紹介し、かっちゃんも
「大学院では、Hさんの研究の続きをしたい。」
と決意、大学院進学先を私の所属している研究室と決めたのであった。そして降って湧いたような私の転勤に、大した愚痴も言わず
「修士二年になったら大阪で下宿して、善さんの研究室で修論を仕上げます。」
と、えらく強い意思表示を示してくれたのであった。これには私も応えねばならず、研究室の教授だった松浦先生にお願いして、かっちゃんの居候生活が始まったのが、1990年4月のことであった。かっちゃんの研究は、大型計算機での雷放電路のシミュレーションが主題で、光学観測された雷放電路の、フラクタル次元を力づくで推定するという副題であった。それらを見事にやり終えて、現在のNTTに就職していった。
ちなみに放電路のフラクタル次元の内容は、電気学会誌の論文に採録された。
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posted by zen at 11:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 雷人独白
この記事へのコメント
検察庁法の話から唐突に私の話がでてきて驚きました。
懐かしい話です。
漠然と光通信の勉強をしたいと思って入った工学部でしたが、中学生の時から気象のことも大好きでした。実は、気象大学校も受験して、あえなく一次試験で敗退しています。
4年の時の研究室は通信系の研究室でしたが、大学院で空電研に行くことになり、たまたま、その時の研究室の先輩Iさんが空電研のHさんと友達ということで、紹介してやるわと言われて、豊川に行ったのがZen先生との最初の出会いです。
で、元々、気象好きだったので、雷の研究をしているのがZen先生の研究室と分かって飛び込みました。
しかし、大学院進学直後に、改組で研究室が無くなることを聞いて愕然としたことを覚えています。
できるかどうかわからないけど、4年の時の研究室の教授に頼んで、移籍させてもらおうかとも悩んでいたところ、Zen先生から「研究続けたいなら大阪で面倒みてもいいぞ」と声をかけてもらって、大阪に行くことを決めたことを覚えています。
結果、人生の中でも忘れられない濃い2年間になりました。
最後の放電路のフラクタル次元の論文は、「阪大で雷の研究をした証を残していけ」と言われて、一晩で書いたことを覚えています。

本日5/21、25回目の結婚記念日を迎えました。
少しほろ酔い気分でコメント書いてます。
その節は、たいへんお世話になり、ありがとうございました。

by かっちゃん
Posted by かっちゃん at 2020年05月21日 23:23
かっちゃんへ

唐突に出てきたのではなく、この頃結婚した筈だなぁと思いだして書いた次第です。
何日か前にブログにも書いたのですが、阪大の4年生(1972年)から2010年までの日記日記を紛失してしまい、思い出を辿るしかないのです。(愚痴です)
シンガポールで、がんばっています。
風塵雷人
Posted by 風塵雷人 at 2020年05月22日 00:09
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