話は前後するが、その前年1985年私はパリの国際会議で、VHF波帯の干渉計による放電路の再現の様子を、フランスONERAの発表で知り、私も設計したいと考えるようになっていた。干渉計そのものは、当時勤務していた空電研究所の「太陽電波写真儀」で知ってはいたものの、同様の原理を雷放電の観測に適用していることに感激したのであった。とはいえ私自身が干渉計に取り組むまでには、まだ数年経なければならない。
昨日も書いたように、一口で「放電の進展」といっても、正極性の進展と負極性の進展の様相はすっかり異なる。これはロケット誘雷実験グループで、ストリークカメラの観測を担当していた中部大学のSSさんの成果として、光学的観測で明らかにされていた。そしてそれらに伴う電磁放射にも、放電の極性依存の有ることを、ぼんやりとではあるが昨日述べたように三方郡美浜町の観測で気付き、その後雷撃電流とVHF波を同時観測し、強度に20dBの差のあることを突き止めたのである。さらにVHF波帯の干渉計といえども狭帯域では不十分で、広帯域干渉計の必要性を結論するのに、おおよそ10年の歳月をかけたというのが本当のところなのである。
もう一点どうしても書いておきたいのは、放電進展の光学観測である。
NMさんは、フランスのイベールの論文を参考に、光学カメラのフィルムの位置に二本のフォトダイオードを置き、出力を二チャンネルのデータレコーダに記録することから始めた。その出力をAD変換して、あれこれ数値処理できることを示したのが博士課程学生だったTN君や私で、
「そんなことなら、最初から高速AD変換器を組み合わせてディジタル記録しよう!」
ということになった。さらに8個のフォトダイオードを並べ、より広い視野角を得るために円筒形レンズを利用した装置を製作した。この装置はNMさんの設計で、二人の技官NMさんNHさんが製作した。私はそれを中国やカナダに持って行って観測に供したのである。
いつの間にやら、私の研究者としての初期の頃の思い出話をしてしまったようだが、明日からは話題を変えることにしよう。

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