2021年09月12日

祖母の事 2

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
祖母の「思い出」をもう一日続けたい。
私は、祖母の事をおばぁちゃんと呼んでいた。
母親、祖母それに私の三人暮らし、母子家庭であった。
気丈だった祖母が、認知症気味になったのは、昭和25年9月のジェーン台風が一つのきっかけだったろうとは、子供の頃によく聞いた。聞いたというよりは、祖母の妹、私がおばぁさんと呼んでいた人が、母や母の姉と話するのを聞いていたという方が正確である。ともかくその台風で、庭の松の木が倒れ、屋根に引っかかって怖い思いをしたのだろうと、何度となく繰り返し話していた。昭和24年1月生まれの私は、残念ながら気丈だった祖母の本当の姿を、残念ながら知らない。いずれにしても私が幼稚園に上がる頃には、母に代わってあれこれ世話をするのは、おばぁさんだった。例えば遠足、堺市の水族館だったと記憶しているが、付き添いはおばぁさんだった。母はその頃は小学校の教員をしていたから、付き添いは不可能だったからである。
今頃になって浮かんでくるのは
「なら祖母が、一人で留守番をしていたのだろうか?」
といった疑問である。ただ今となっては当時を知る人は、もはや誰もいない。
長男を戦死で無くした祖母にとっては、私は跡取りうる孫として生まれたものだから、ともかく溺愛した。その一つが、私が小学一年生だったある日、祖母が教室まで私の大好きな饅頭を持ってきた事からも、想像できるのである。残念ながらその頃は認知症も随分と進んでいたに違いない。今日ならあれこれ治療も可能だろうにと、思う次第である。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/188991156
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック