2022年06月28日

小学五年の夏 9

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日本では、昨日27日に一部地域ながら梅雨が明けたそうだ。このまま本当に開けたとすれば、空梅雨となる。またぞろ温暖化と騒ぐお方も多かろうなぁ。

さて時間は数日前から、1959年私が小学五年であった夏に戻っている。
この年もだが、あの頃は本当に台風が多かった。
この年の台風は、台風15号・伊勢湾台風である。あまりうれしくない記録ながら、阪神淡路大震災の起こるまで、この伊勢湾台風による死者の数が記録として残る自然災害として最高だったという。ただ私の住む貝塚は、この台風の上陸が潮岬で、台風の西側に位置していたこともあり被害は意外と少なかった。台風の来襲は9月26日で夏というより秋という方が正確だったかもしれない。ただ台風が去って世間に落ち着きが戻ってきた頃、母は退院してきた。
私が小学校から帰ると、おばぁさんの家の居間に母がちょこんと座っていた。母はあの当時の情勢としては大柄であったけれど、私にはえらく小さく感じられた。ただ何日か前から子の退院の日は大人たちの間では判っていたのだろうが、私には一切知らされていなかった。しばらくすると伯母がやって来て、
「今晩からでも、懸田で寝れそうやなぁ。おばあさんが毎日言ってくれてたんやなぁ。」
と、ねぎらいの言葉をおばあさんにかけた。
「おばぁさんと僕が毎晩泊りに行ってたにんやでぇ。」
という私のことばには耳もかさず、おばぁさんは
「今日はうちで泊まって、明日から三人で眠りに行く。しばらくはご飯はここで食べたらええんやから!」
と、話を打ち切った。
次の日学校に行くと、担任のY先生が
「善一郎、お母さんが退院して来たそうやな。良かったなぁ。何回か見舞いに行ったんか?」
と尋ねたので、一度も見舞いにはいかなかったことを告げると
「お前は薄情な子供やなぁ。何で見舞いに行かなかったのじゃ!」
またぞろ叱られてしまった。ただ真空ポンプの時のような叱り方ではなく、私を諭す叱り方であった。
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posted by zen at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白
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