日本では梅雨明けの報が、色々な地方から続いている。各地域とも、観測史上最短の梅雨だという。この記録的な梅雨の短さの因であろうラニーニャ現象は、以前として続いており、今年の日本の夏は、ことのほか暑いという予報だ。
さて1959年の夏。
母の長期入院と二つの大事件を機に、私の生活が一変したことは、何度も繰り返し述べている。
9月になって新学期を迎え、私はおばあさんの家の向かいのY君や、母の従弟にあたるHちゃんと一緒に登校するようになった。母の従弟とはいえ、Hちゃんは私より一歳だけ年上で、それまでにも遊び仲間だった筈だが、行動を一緒にする機会が増えたのは、おばあさんが、それとなくそうなるように仕向けていたのかもしれないが、今となっては知る由もない。本家筋のDちゃんや自宅迎いのYちゃんは、私に悪影響を及ぼしたわけでもないのに、おばぁさんの理解はそうだったのだろう。
母の退院を期に、もう一点私の劇的な変化がある。
私は母のことを「あぁちゃん!」と呼んでいた。伯母やおばあさんは、私が三年生になった頃、
「もうすぐ10歳にもなるのだから、ああちゃんは止めて『おかあさん』と呼びなさい。」
と諭したけれど、私が頑として譲らなかったのである。それが母の退院して来た日、おばあさんの家の居間で母のちょこんと座っているのを見て、思わず
「おかぁさん、お帰り。」
と声をかけたのである。母は私の呼びかけに、ちょっと驚いた顔をして、その後少しの間中空を見上げていた。私は五か月間母と離れて過ごしていたことになり、この五カ月が私を大いに変えてしまったのであると私は理解している。

クリックして投票を!