2022年07月24日

SATREPS 13

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その後おおよそ一年にわたって、Wさんとの話し合いが続いた。一年にわたってと言っても、一か月に一回程度、彼がシンガポールに来るたびにであったが。そのうち一度は、大阪の新阪急ホテルのロビーで、Wさんの上司にあたる工場長のTさんも参加されたことがあった。話の要点は、
1. 元の事業部長が、私を誘われたことの真意
2. 当時の大阪大学担当の二人が、ある程度の資本金を出すからベンチャーを立ち上げようといったことの再確認。
3. この提案に関しては、大阪大学側の副学長も確認している事。
4. 会社の方針転換は止むを得ないとして、それならなぜ私の赴任前に、そのことを知らせなかったのか。
と、極めて明快。ただ話し合いをしたら、Wさんは
「会社に持って帰って、次回シンガポールに来る時に回答を持参します。」
と仰るのだが、答えは

「会社の方針転換で、シンガポールでの事業展開を共同で実施することはできません。」
といった、質問の答えにならない回答であった。私は
「こんな話し合いだけでは、前に進まないから、きちんと議事録を残しましょう。」
と提案し、その年の暮れには、最初の議事録が電子メールで送られてきた。ただ相変わらず質問の内容には直接答えず、
「会社の方針転換で・・。」
という、要領を得ない回答であった。私からは
「こんなものは議事録にならない。少なくとも1〜3に関しては、事実確認を4番目に関しては、なぜ私の赴任前に知らせなかったのかを明らかにして欲しい。」
と返した。そして1〜3に関しては、赤い字でハイライトして、私の言い分は認めるとあったが、4に関しては依然として何故に対しての答えはなく、
「会社の方針転換ですから、ご了解いただきたい。」
と、記されていただけであった。
そしてその頃、日本の雷放電の研究者仲間から、ちょっとショッキングな情報が届いた。

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posted by zen at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張
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