データの改竄が後を絶たないこと、技術立国日本の名も風前の灯かも知れないことを書いてきた。
それにしても、いつかは改竄の明るみに出るだろうことを、どうして気付かないのか、不思議でならない。こう書くと、
「改竄が明るみに出ないなら、やっても良いのか?!」
と切り返されそうながら、当然いつかばれるからやってはいけないのではなく、自分達の設計・製作した製品が、設計通りの機能を発揮するために、必要な性能試験をしているから、そんな試験でうそをついてはいけないのである。そしてそんなことは製造にかかわる者なら自明の事というのが、この爺の本音なのである。さらにいうなら人間の設計・製作した製品だから、仕様通りに出来上がっていても、思わぬ誤動作のあったりするのが、人の手になる物。完璧、万全はあり得ないのだから、試すことのできる、確かめることのできる最大限を試しているというのが実際の所なんだろう。
こんなことを気ままに書きなぐっていて、脳裏に蘇ってきたことがある。
私は退職する前の10年間ほど、「工学倫理」という科目を担当した。
そして退職にあたって、後輩のある教授から
「河崎先生のノウハウ教えてください。私達には工学倫理に対する理解がありませんから。」
と頼まれ、そのうちにと生返事をしておいたのだが、あの時は心底腹が立った。
「自分達の学生が社会に出ていくというのに、そんなことを考えもせずに指導していたのか!」
と。早い話
「こんな大学教育では、データの改竄終わることがないかもなぁ!」

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