以前このブログに
「日本人が真の国際人であるには、どの国のトイレでも利用できるようになる必要がある。」
といった内容を揚げたことがある。だから今日の内容は、それに関連しての内容である。
一昨日の天声人語氏も述べておられるように、我が国のトイレは、ウオッシュレットの普及率を含め、諸外国に比べ圧倒的に清潔である。かつてはあまり感心できなかった駅構内のトイレ、学校のトイレ、そのほか公共機関のトイレ等々、最近では異臭のするようなのは稀である。それゆえこんな清潔感のあるトイレに慣れてしまうと、諸外国のトイレの標準の低さに利用する際に抵抗感を覚えるかもしれない。日本人の思い上がりと言えば確かに思い上がりだろう。戦後生まれの私には、自宅は汲み取り式の便所だったし、大阪府の南部の田舎で育った私には、村のあちこちに肥溜めのあったことが、いまだに鮮明な記憶として残っている。というのも、鬼ごっこをしていて、肥溜めに落っこちたという友達が、運悪く肥溜めにはまったという事があったから。
ちなみに私の田舎の村には、半世紀近くの時を経て、今日ではそんな肥溜めがすっかりなくなってしまっている。
さてトイレ本題の談義。
天邪鬼爺の私とて、清潔な方が好ましく思えるのは事実ながら、食べ物にも事欠きがちで、生き抜くことが精一杯の途上国では、本当のところそこまで手が回らないというのが現実なんだろうとも思案が巡る。それゆえ
「清潔なトイレが当たり前」
と考えるのは、
「先進国の思い上がり」
と、理解している。
「私達だって、半世紀前にはまだまだだった!」
と自分達の過去を思い起こせば、大概のトイレ環境も甘受できるのである。

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