2023年02月06日

子育て支援 2

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ブログを更新した後読み返してみて、言葉足らずを痛感する。
例えば昨日、何を言いたかったのかと自問してみて
「子供を育てるというのは、自分の子供であれ他人さんの子供であれ、未来への投資!」
なのだから、国(政治)のサポートは当然のこと、社会(コミュニティ)もその責務を担っている筈。コミュニティのサポートは、わざわざ言わなくとも、ご近所さんが地元のガキ大将に眼を光らせていたし、そのガキ大将は子供ながらに、近所の子供を束ねていた。だからというべきかな、両親共働きの「鍵っ子」も、私のような母子家庭も、放課後家に帰って寂しい思いをすることなど、稀であった気がする。確かに近所の友人家族が、どこかに出かけてしまった日何ぞ、所在がなくてしょんぼり感じることもあったけれど。
一方ガキ大将、隣の村のガキ大将にからまれでもしようものなら、体を張ってというと大仰ながら、仲間を守ってくれた。隣村とのいざこざにでもなるようなときには、大人達がうまい具合に両方の顔を立て、「手打ち」にと導くこともあった。
ともかく巧まずしてうまく機能していたのは、日本という国が「村社会」から成り立っていたからだろうとは、言い換えれば「村社会」の集合体であったろうとは、74歳の爺の理解である。
「懐古趣味」とそしられようとも、かつての日本はそうであったのは間違いなく、それが核家族化が進み、昨日も書いたと思うが、近所の子供に声をかけようものなら、
「知らないおじさんと話してはいけません!」
と、ご両親が子供にくぎを刺す。
「ご両親が知らなくても、お子さんとは顔なじみですよ!」
と申し上げ、未来への投資に貢献とは言わぬまでも、僅かばかりの寄与さえと考えるのも、難しい時代になっている。
もしそうなら、都会化なんて必要はないとは、爺の独りよがりである。

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posted by zen at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張
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