2023年02月19日

講演のあり方 2

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講演のあり方の話題を続けたい。
天邪鬼爺の持論の芽は、1973年の卒業論文発表の時に遡る。
つまり半世紀も昔の事である。
大学四年生になって、いわば生まれて初めて研究を経験し、それを所属学科教授連の前で、これも生まれて初めての経験をした。卒業研究を直接指導して下さった博士課程先輩のTKさんが、発表内容のまとめを書いているのを見て
「善さん、僕練習なんか付き合わへんで。自分のやって来たことを、どう聞いている人に理解してもらえるかを、発表しながら都度、都度考えなあかんねで。そのためにはやって来たことを、自分でもよう整理して理解するねん。発表の原稿作って読み上げるんは、最低やで!」
と、いうなら突き放す感じで、発表前日だというのにさっさと帰ってしまわれた。
私自身、
「えらい薄情やなぁ!」
と思う反面、
「もっともな意見。そんならわいはやったるで!」
と天邪鬼が頭をもたげた。以来学会発表時も同様だった。
それからちょうど十年、マンチェスターのUMISTを訪ねたおり、予期もしていなかったのだが
「河崎さん、わざわざ訪ねてくれたのだから、北欧でやって来た観測のことを講演してください。」
と、招待者のイリングワースさんに請われた。それまで英語での発表はしたこともなかったので、早速原稿を作っていると、
「河崎さん、何をしてるの。話す内容の原稿書き?そんなものを読まれたら、聴衆が楽しくない。発表はInteractiveでないと!」
と、十年前TKさんから教えられたことと同じ指摘を受けた。つまり十年以前の芽が、このことがきっかけで持論にまで成長したのである。
講演や発表は、講演者と聴衆の共同作業なのである。
(この稿続く)
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posted by zen at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活
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