内容的には、昨日の続きというわけではないが、敢えて続きの形式をとっている。というのも、昨日長雨の事を書いていて、四半世紀も昔のことを思い出したから。そして今日の話題は、その四半世紀昔のちょっとした事件についてである。
この天邪鬼爺、大阪大学工学部の通信工学専攻で、博士の学位を得た。工学的立場からの電磁界理論という範疇に含まれる内容であったと、爺は信じている。そして名古屋大学の空電研究所に助手の席を得たのが1979年、爺は工学者から雷放電物理(大気電気学)科学者に、華麗(?)なる転身を遂げた。
転身が確実なものとなるまでには、雷放電関係の論文をJGRから探してきて、ある意味むさぼり読んだ。当然放電・高電圧の教科書もあれこれ漁った。そして1985年にはスウェーデンのウプサラ大学気象研究所に一年間のサバティカルに機会を、雷放電研究のボス故竹内助教授の計らいもあって得ることになった。雷放電の研究には、気象学的側面と電力工学的側面の二つがあり、「似て非なる」というのが正直なところ。この爺の空電研究所に入った頃には、なぜか研究室の顔は、電力工学的側面に向いていた。確かに気象学会の年次大会には参加して発表もしていたようながら、電気学会の高電圧研究会が主な発表の場であったと記憶している。30歳前半だったこの爺も、竹内助教授や先輩助手のNMさんに連れられて、高電圧研究会に参加した。その一番最初は京都であった。今となっては覚えていないが、多分関西電力の保養所での宿泊ではなかったろうか。季節は七月、祇園祭の最中で大雨の日であった。
<この稿続く>

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